あらすじ
父が上空からの落下物によって亡くなり、撮影用の馬を飼育する老舗牧場の経営を引き継ぐこととなったOJとエメラルドの兄妹。父の死に疑問を感じるOJは、空にいる何者か=UFOが原因なのではと考える。数々の異変によってその存在に確信を持った彼らは、一攫千金を狙いUFOの姿を撮影しようとするのだった。
一方、かつて人気子役だったリッキーは自身が運営する子役時代のTV番組を模したテーマパークで大がかりなイベントを行おうとしていた。
やがて彼らの目の前に、謎の飛行物体が現れるが……。
『ゲットアウト』『アス』のジョーダン・ピール監督の最新作ということで全世界的に期待されていた本作。前2作はめちゃくちゃ好きってほどでもなく「面白くて深い映画を撮る人だなぁ~」くらいの感じだったんですけど(謎の上から)、ただ今回は予告編や紹介文を見て、UFOを撮影しようとする人たちが主人公だとわかって俄然興味がわきましてね。で、どうだったかっていうと……、
何これ!めちゃくちゃ面白い!!!
いや、ちょっと信じられないくらい面白かった。こんなに興奮した映画はほんと久しぶり。映画ってなんて面白いんだろうって本気で思いましたね。早く2回目が観たいです(できればIMAXで~!!)。
すでに色んな人が、作品に込められたメッセージや「UFO(最近はUAP=未確認航空現象と言うらしいです)」の正体などについてさまざまな考察をされていますが、わたしはそういうことはできないので、そういったものが読みたい方は他のブログさんを読むと良いです。
もっと言うと今回は映画の内容にはほとんど触れておらず、なんなら感想でさえないので気を付けて!
あと謎の自分語りとかも入ってるからそういうの苦手な人は読まなくていいよ!
搾取と消費と傍観と
この映画は、ピール監督がインタビュー(新たな恐怖への招待状『NOPE/ノープ』“最悪の奇跡”とは一体!? - SCREEN ONLINE(スクリーンオンライン))で「自分たちの仕事を評価しつつも批判する作品にしたいと思った」と語っている通り、簡単に言ってしまえば、これまで映画作りで平然と行われきた「マイノリティへの搾取と消費」について描いている作品です。
これまで人種差別や経済的格差を映画に落としこんできたピール監督が、大きな変革期を迎えているハリウッド「映画界」に批判的な眼差しを向けるのはむしろ必然だったのでしょう。もしかしたらコロナ禍も製作に影響を与えたのかもしれせん。チンパンジーのコーディと、スティーブン・ユアン演じるリッキーの物語が大きなウェイトを占めていたことを考えると、特にコロナ初期のアジア系への苛烈なヘイトクライムがその背景にあった可能性も十分に考えられますね。
映画制作への大いなる罪を断じながら、一方で愛と希望にも溢れている作品だと思いました。「映画には世界を変える力がある」とでも言うような力強いメッセージも感じました。ピール監督が、これからもそういう映画を撮っていくよ!と宣言しているようにも思えて、クライマックスからラストにかけて、わたしはとても感動しましたね。
ただこの映画は、「作り手」だけの話ではない、ということも付け加えておきたいです。なぜなら「観る」側の観客である我々も、当然「映画」という大きな枠組みに組み込まれているからです。
わたしたちはこれまで、本作で登場したチンパンジーのコーディのように、動物や子役、非白人、女性、障がい者、LGBTQなど、物語を構成する、あるいはテーマとなるキャラクターや設定をどのように受け止めていたでしょうか?
あるいはそういうマイノリティと呼ばれる人たちの物語をどのように見てきましたか?
作り手による搾取に甘んじて、我々観客はさまざまな「社会的な問題」から目を背けて傍観し、消費を繰り返してきたのではないですか?
……その反省の上で、わたしたち観客に何ができるのか?そんなことを考えさせられる映画でもあったような気がします。
わたしはもう映画を「論じる」ことができない。
いつからか、わたしはそんな風に思うようになりました。
こうやって映画の感想やブログを書いたり、レビューしなくてはならない場合、どうしても「客観性」が必要になってきます。
例えば「○○は□□のモチーフです」とか、「○○の行動には□□の意味があって」というように、冷静さが求められるものです。でも冷静さは、時に冷酷さとも表裏一体です。
なんかそういうの、急に嫌になっちゃったんですよね(まぁそれでもこうやって書いていますけど!)。
わたしたちは自分の立っているところからしか物を見ることはできません。当事者にはなれない。でもマイノリティの物語を観て共感したり、違う立場の人たちを想像したりして、当事者性を獲得することは可能です。
ただ、冷静に俯瞰で観た時に、時々自分がものすごく「高みの見物」をしていることに気付くんですよね。それは、当然のことながらわたしがマジョリティ側にいるからです。中立だの冷静だのと言いながらも、実際はマジョリティの自分からしか語れないんですよ。
あんなにボロボロ感動したのに、しれっと「この映画の構造は~」とか語っちゃうわけ!?って自分で自分に突っ込んじゃうの。
そのことにものすごい葛藤があるんです。
だから、わたしは映画で得た気付きやそういう葛藤を、なんとか社会に反映させることはできないだろうかと模索しています。連帯するために、賛同したり署名したり募金したり、自分のできる範囲で、できることをしているつもりです。
それは、これまで彼らの物語にフリーライドして、屈託なく甘受してきたわたし自身の罪滅ぼしのようなものかもしれません。(日本の映画界でもマイノリティの映画に関わったキャストや製作者にも同じような表明をしてくれたら心強いのにな、というのはいつも思う……フリーライド問題を解決するのには彼らの力も必要なんだけどな)
以前にこんなエントリーを書きましたが、
映画ファンとしてできることを考える - ファンタスティック映画主婦
こういう宣言のようなものも、わたしには必要なことです。ちなみに、この「声明」にある通り、タイトルは伏せますが、最近公開されたある映画に、性加害の告発のあった人物が参加していたことを知り、鑑賞を見送りました(一向に目立った進展のない「日本映画界」には失望もしています……)。
そして、「差別じゃないけど」を枕詞にして、肌の色や見た目、ジェンダーを理由に「(原作やオリジナル作品の)イメージと違う!」と憤慨する、ある種の議論(というか難癖?)からもわたしは距離を置く立場です。
それらは往々にして、ポリティカルコネクトレスをくさす文言とともに語られる場合がほとんどなんですよね。
わたしは、LGBTQのキャラクターについて「必然性がない」などと言われるたびにその必然性を感じるし、非白人が主要なキャラクターに配役されて非難の声が上がるたび、その意義を痛感します。
映画って、「わたしたち」だけが見るんじゃないんですよ。色んな人たちの物語は、実は色んな人たちが見てるんです(小泉構文みたいになっちゃったな!)。その中には、マイノリティと呼ばれる人たちも含まれています。その答えだけで十分なのではと思います。
当事者による表象に関して言うならば、例えばこれまで描かれてきた多くのトランスジェンダーのキャラクターが、世間に誤解と偏見を広めてしまったとも思っています。
フィクションの中で描かれてきた、マイノリティの事実と異なる表象が、現実の見方を変えてしまうこともあるんです。現在、その事実を認めて是正しようとする動きに、わたしは賛同します。
「映画を観る」という行為も、わたしは「活動」だと思っています。今後も「映画を観る」ことを通して、自分なりにできることをしていきたいと思います。
もう、誰も死なせない
話がそれました。
本作の未確認生物が雲に隠れる=時々見え隠れするというのも象徴的だと思っています。
皆さんも、これまで「あれ?今のって良くないんじゃない?」「なんか嫌な感じだなぁ」と一瞬思っても、「まぁいいや」「気のせいかも」「うーん、でもわたしは直接関係ないし」なんて、見過ごしてきたことってたくさんあるんじゃないかなと思います。
差別の構造も同じです。
ちょっとした違和感、小さな理不尽は、積み重なってやがて大きなヘイトを生み出す。それは時に、暴力となって人の命を奪います。
映画の中でGジャンが、見た(認識した)人を攻撃して(飲み込んで)いったように。
見なければ襲われないけど、見ずにやり過ごしたところで倒すことはできない。「わたしには関係ないし~」って知らんふりし続けたら、みんな飲み込まれちゃう。そんな世界、わたしは望んでない。
主人公たちはGジャンを「撮影する」ことで、それを白日の下に晒し、多くの人に認識させようとします。それが誰かの救いになると信じて(ピール監督はずっとそういう映画を撮ってるんですね、きっと)。
そして「見る」(直視する)ことで、兄妹はお互いを助け合います。それは、見て見ぬふりをしないということ。
命を救うには、その方法以外ないってことです。
これまで「当然」とされてきたことに、それは理不尽だとただ声を上げるだけで、「声高に主張する」とか「正しさの押し付け」とか言われてしまうこの世の中で、それでもわたしは「そんなことくらい」で許されてきたことに毅然とした態度で向き合おうと思っています。
もう見て見ぬふりはしない。
それが、エメラルドが最後に言った「勝つ」ということだと思うから。
だって、やつは一匹じゃない。どこにでもいるんだからね、世界中に……。
最後に
馬のGジャンを奪われたエメラルド(女だから家業を継げない)と父親の関係(彼女は父親のビデオ繰り返し見てる)も考えさせられるものがありましたし、そんな彼女の悔しさを知っていながら家を継がざるを得なかった兄OJがまるで贖罪のように妹を守ろうとする姿、2人の絆にもぐっと来ましたね。
そして、対象に近づきすぎて飲み込まれるホルスト(その名は組曲「惑星」の作曲家から来てるのでしょうか)、一方で、飲み込まれそうになりながら機転によって事なきを得るエンジェル(ちなみにGジャンの最終形態を聖書に忠実な「天使」と表現している海外レビューもありました)との対比(年齢による考え方の柔軟性?)も考察のしがいがありそうです。
また、Gジャンが嫌うカラフルなフラッグ(これはレインボーフラッグだとツイッタの相互さんから指摘されてはっ!となった)、Gジャンをおびき寄せる傀儡のようなスカイダンサー、最初の「映画」である「走る馬」を彷彿とさせる回転木馬風の作り物の馬、宇宙人のようなカマキリ、などなどモチーフの取捨選択も抜かりない。どこまでも考え抜かれた映画ですよね。
ピール監督、さっきまで謎の上から目先でごめんなさい、あなたはすごい監督だよ!!
追記:ちなみにGジャンの見た目は海の生き物をモチーフにしていて、海洋生物学者の方がクリーチャーデザインの監修に参加しているそうです。
これらの記事によると、Gジャンの学名は「Occulonimbus edoequus」。意味は、 “hidden dark cloud stallion eater”(暗い雲に隠れて馬を食らう者)。
Gジャンを生き物や自然現象そのもののモチーフだと考えれば、「環境や自然を安易にコントロールしようとするな」という人類への警告の映画だととらえることもできます。いずれにせよ、敬意を持って相手と向き合うことが、何よりも大切なんじゃないでしょうか。
(記事の人が主人公たちは撮影するんじゃなくて科学者に相談すればよかったのに、って言っててその方向で作っても面白いかもって思った。……でも、それだと違う映画になっちゃう!)
作品情報
- 監督 ジョーダン・ピール
- 脚本 ジョーダン・ピール
- 製作総指揮 ロバート・グラフ、[製作]ウィン・ローゼンフェルド
- 音楽 マイケル・エイブルズ
- 上映時間 131分
- 製作国 アメリカ
- 製作年 2022年
- 出演 ダニエル・カルーヤ、キキ・パーマー、スティーヴン・ユァン、マイケル・ウィンコット、ブランドン・ペレア