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エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス【映画・感想】わたしとあなたと、わたし「たち」の宇宙(5.0)

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あらすじ

コインランドリーを営むごく普通の主婦エヴリンは慌ただしい朝を迎えていた。国税庁へ行って確定申告を終えなければならないし、旧正月を祝うパーティーの準備もしなくてはならない。父親の世話も必要だし、だのに夫は頼りない。しかも娘は断りもなくパートナーを連れてくる……。

何もかもうまく行かないそんな日、突如宇宙を破壊しようとするヴィランがマルチバースからやってくる。わけのわからぬまま宇宙の命運を託されたエヴリンは、他のバースの自分と繋がり、その能力を生かして刺客たちと戦うことになるが……!

 

 

去年の年間ベストにも入れた作品で、めちゃめちゃ大好きな映画です。でも、ブログにするかどうかは迷っていて、まぁ詳しい人がちゃんと書いてくれるだろうし、別にいっか~と下書きに適当に書いて眠らせておいたんですよね。

 

ただ、最近また鑑賞して、そして最近の日本の酷い有り様も鑑みて、これはちゃんと文字に起こしておかないといけないのでは?と半ば使命感にかられてこのエントリーを書いています。

 

 

この国で生きる若者たちへ

まず、言っておきたいのは、この映画がとっても「クィアな」映画である、ということ。

 

ミシェル・ヨー演じる主人公の娘ジョイ(ステファニー・スー)はレズビアンで、女性のパートナーがいるんですね。実はそのキャラ設定がこの映画の構造に大きく関わってきます。

 

ジョイは母親から自身のセクシュアリティ、そして自身の見た目について(真意はそうではないのだけれど、そうとしか受け取れない)やんわりと否定されているような言葉を投げ続けられてる。その「やんわり」は決して強いパンチではないけど、長いことさらされたことでジョイは完全にすり減り、失望しています(前半のこれらのシーンは自分のことを重ねちゃってまじつらかった)。

 

そんなジョイにできることは、自分を暗に傷付ける母親と距離を取り、自分の「宇宙」を守ることだけ。

だけど、もし、すべての「宇宙」を作り替えるような力を手に入れることができたら……。ジョイ目線で見れば実は本作はそんな話でもあるんです。

 

わたしはこの映画を、この国で生きることに絶望を抱えている若い人たちに観てもらいたいと思いました。同性婚法制化も実現できない上に、酷い言葉を平気で投げつける大人たちがいる、この日本という国で生きる、クィアな若者たちに。

この映画は、あなたたちの存在そのものが「宇宙」を何よりも美しく尊くしている、と説いています。あなたたちは何かに制限されたりはしない。何にでもなれるし何だってできるのだと。

 

そして、大人たちにもちゃんとメッセージを送っています。このユニバースを彼らが絶望せずに生きる世界にするためには、わたしたちの行動にかかっているのだと。諦めと絶望は片道切符でもあって、崖を転がる石のように些細な一押しで簡単にそちら側へ落ちてしまうことがある。それを止めることが絶対に大事で、そのために必要なことについて語っている映画だと、わたしは思いましたよ。

 

……てかね、これほんとものっすごく変な映画で、何やってんだか全然わけがわからない、カオスな映画なのね。ぶっといディルドが出てきたりケツに何かを率先して突っ込もうとする奴らがいたり鼻で虫を吸い込んだり、バカバカばかしいギャグと下ネタがぶちこまれて、何回か観てるけど、観るたびに「いやまじで何やってんの?」て思う(笑)。


f:id:minmin70:20230303092954j:image『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』 © 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.

(これなんてめちゃくちゃキメ顔してるけど、実際は指と指の間を紙で切ろうとしてるだけだからね。バカなの?最高)

 

ユニバースを跨ぐにはそういう「逸脱した行動が必要」って設定なんで(これも、視覚的にもテーマ的にもほんとうまいよなぁ)、ま、それももちろん面白くて見所ではあるんだけど、ただ、この映画はそういう画的なカオスさは本質ではなくて、そこにばかりフォーカスされてるのも違うんじゃないかって思って。やっぱり大事なところは言っておかないとなぁと思ったの。

 

「バースジャンプ(他のユニバースの自分とコネクトする)」はある意味でニューロダイバーシティ的な側面もあって(裏設定ではエヴリンはADHDだとされている)、中年女性の危機的なことや、鬱やメンタルヘルスについての話でもあるし、アジア系移民の物語でもある(後述)。そして、親と子、夫婦、家族という極小単位の「宇宙」の物語を、壮大な多元宇宙世界を使って描いてるとも言える。

 

そんな感じでレイヤーが幾重にもわたるので、人によってそれぞれに共感できるところがおそらくあると思うんだけど、今のわたしはとにかく、「この映画はクィアな映画だよ」ってところをまずは強調しておきたいなと思います。

この作品で救われる人がきっといると、わたしは思っているから。

 

 

「宇宙」と「宇宙」の衝突

さらにエヴリンとジョイの場合は、移民1世と2世の確執、という問題も横たわっている。アメリカで生まれ育った娘にとって、親の故郷やその文化に対するシンパシーは希薄なわけで、そうなると、出自にまつわるアイデンティティを親子で共有できない。

もちろんこれも親子の確執ものとしてよくある設定ではあると思うんだけど(最近だと『ミナリ』とか『フェアウェル』とか。全部A24だな。あと、言語の翻訳を子に頼る描写は移民親子の映画でよく見るね……あるあるなんだろうな)、ただ他の作品と決定的に違うなと思ったのは、それらいくつかの要素が複雑に入り交じって展開していくということ。そしてそれを「親の目線」から描いている、というところが特にいいなと思った。理解することを子に押し付けてないんだよね(『私ときどきレッサーパンダ』はそこが危うかった)。

エヴリンはジョイを理解できない。タトゥーも、ゲイであることも、アメリカ人としての生き方も。なぜならそれらはエヴリンの「宇宙」にはないものだから……。そんな親であるエヴリンを主役にすることで、じゃあ、理解できない娘の「宇宙」に親はどう入っていくことができるのか?という話になっていく。

 

そもそも、エヴリンも厳格な父との間に確執を抱えていて、結局そこで生じてる痛みを娘との関係性でも再生産してしまってるんですよね。そのことがまた、地味につらい。

 

そこで夫のウェイモンドの出番。一見すると、全く頼りなさげで(アルファの時はカンフーマスターでめちゃめちゃ強い)、でも最後の章で何よりも最強の武器を持ってることがわかってくる。

最初はなんでこんな夫を選んだんだろう?って思ってたエヴリンも、いろんなユニバースを行き来して、彼のいる人生がかけがえのないものだと気付いていく。

あらゆる人生を肯定し、「わたし」と「わたしたち」を肯定していく……。その過程が本当に感動的で、わたしは自分の人生も肯定された気がして、何度も泣いてしまった。

 

この映画で最終的に行き着くのは、人と人の繋がりの可能性だと思っています。

確執ある親と子の場合だけじゃなくて、どうしてもわかりあえない人同士がいて、衝突してしまった時、どうすればいいんだろう。

戦う?

離れる?

それ以外にも選択肢があるよ、と言っているのが、本作なのです。また泣けてきたな……

 

 

すべての映画は政治的な映画

あとね、ダニエル・クワンがインタビューで「すべての映画は政治的な映画である」と言っていて(A24史上No.1ヒット作『エブエブ』はアジアでどう受け入れられるのか。監督ダニエルズに訊く | ブルータス| BRUTUS.jp)、なんて心強い言葉だろうと思ったの。

 

「社会的」な問題を描きながら「ただのエンタメ」と逃げるような言葉を放つ作り手もいる中で、クワン監督のこの言葉のなんて誠実なこと。アジア系の俳優やクリエイターを集めて、2022年に大きなムーブメントを巻き起こしたことも、とても意義深いことです。それがまた「アメリカの」アカデミー賞で大本命なんて言われるような作品になってるんだよ!……いや、そこは大丈夫?って感じだな!(凄いことです)

 

実際この映画、予算2500万ドルくらいだし、大作!って扱いでは全然ないんだよね。むしろインディーズの、小ぢんまりした映画という印象。ほんと、学園祭で仲間たちとワイワイ作ったみたいなノリと熱量に溢れてる。

(ちなみにわたしが一番本作に近いと思ってる映画は『ナイトシューターズ 処刑遊戯』なんだけど……賛同者がいない)

 

 

 

エヴリンはADHDの設定だったと前述したけど、どうやらクワン監督もこの映画の制作の過程でカウンセリングを受けてADHDだと診断されたそう。そのことで自分の過去を振り返ることもあったらしくて、どことなくセラピー的な要素を感じるのはそれが理由でもあるのかなって思った。

ちなみにクワン監督の方がアイデアマンで、シャイナート監督がそれを現実的に実現できるか予算を調整したりする役割を担ってるらしく、そういう特性を生かした共同製作が、コンビ監督ならではって感じで、なんか素敵だよね。

さらに言えば、コンビであるが故の衝突と和解が実はこの映画のベースにあるんじゃないかっていう気もしてる。そういうのをほんのりと感じられるところも、わたしがコンビで活動する監督が好きな理由でもあるんだよね(Jベンソン&Aムーアヘッドとかさ)。

 

 

それから、さっきのインタビュー記事で「私たちは個人主義に向かうのではなく、どうすれば大きな方法で世界を変えることができるのか、どうすれば小さな積み重ねによって創発的な変化を生み出すことができるのかについて考えなければなりません」(シャイナート)とも語ってて、なんか、すごく感動しちゃった。

 

わたしは最近、毎日のように無力さを痛感していて、つまりそれは、簡単に世界を変えられないってことなんだけど。垂れ流され続ける差別的な言説を止めることもできない。それによって傷つく人たちが大勢いることも知っているのに、ただ流れていくのを眺めているだけ……。

 

でも、そんなことでいいの!?って思った。

わたしの存在は確かにちっぽけだけど、何もできないわけじゃないじゃない。できることからはじめようじゃないか。その小さな積み重ねがきっと、この宇宙を形作る。

この映画を観て、もっと自分の力を信じようと思ったし、もう少し「宇宙」を信じてみようって思った。

 

わたしの味方は、わたし「たち」だからね。

 

(超余談:わたしはハリー・シャムJrさんが大好きなので、ウィンクのシーンで「うひゃ~///」となって心臓が止まりそうになりましてね、……ってもう別に誰も聞いてねーな!!)

 

作品情報
  • 監督 ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート
  • 脚本 ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート
  • 音楽 サン・ラックス
  • 製作総指揮 ティム・ヘディントン、テリーサ・スティール・ペイジ、トッド・マクラス、ジョシュ・ラドニック、ミシェル・ヨー
  • 製作国 アメリカ
  • 製作年度 2022年
  • 出演 ミシェル・ヨー、ステファニー・スー、キー・ホイ・クァン、ハリー・シャム・Jr、ジェームズ・ホン、ジェイミー・リー・カーティス