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宇宙探索編集部【映画・感想】わたしは宇宙★★★★☆(4.8)

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あらすじ

90年代には多くの発行部数を誇った雑誌「宇宙探索」。だが今ではすっかり落ちぶれ廃刊寸前。かつてテレビでインタビュー取材を受け宇宙への熱い思いを語っていた若き編集者タンも、冴えない一人暮らしの中年になっていた。だが彼は宇宙人探索を諦めたわけではない。今でも宇宙からの信号を受信できると信じて、テレビの砂嵐を見つめる日々を送っているのだ。

ある日、宇宙での異変とある村での奇妙な現象に関連を見出だしたタンは、ついに宇宙人捜索の旅へ出ることに。編集部員のチンさん、UFO仲間のナリス、雑誌のファンだというシャオシャオとともに、天竺を目指した三蔵法師一行よろしく、西へと向かうのだった……!

 

 

これはね、傑作です。みんな観てね!以上。

 

 

 

やや!ちょっと!空き缶を投げないで!

いやほんと、これで終わりにしたいんだけどさ、それだとわざわざ読みに来てくれた人に申し訳ないんでね、ちゃんと書きますよ。……って言ってもまともなことは書いてないからまぁ、いつもの通り誰も読まなくていいです。

 

 

新人監督の卒業制作が異例の大ヒット

まず映画そのものの紹介をしておくと、本作の監督を務めたのは、90年生まれの若き俊英コン・ダーシャン。短編映画で注目を集め本作が初長編、北京電影学院の大学院の卒業制作として作られた作品なのだそうです。大学の副教授だったワン・ホンウェイ(『こんにちは、私のお母さん』のプロデューサー)が脚本指導に関わっていた縁で、『流転の地球』のグオ・ファン監督がプロデューサーとなり、大きなサポートを受けたそう(ちなみに本作では『流転の"球"』の監督、としてファン監督がカメオ出演している)。コロナ禍での撮影延期や苦難を乗り越え完成した映画は批評家/観客ともに賞賛を持って迎えられ、本国で異例の大ヒットに……というようなことがね、パンフレットに書いてありましたので映画を観た人はぜひ読んでみてね!(丸投げ)。

 

なので本作は、若い監督の瑞々しい感性の詰まった作品、とも言えると思うんですが(実際、登場する若い世代のキャラクターの社会を見る目線は現代の若者らしいと感じた)、ただ一方で、監督にとっては親世代に当たるであろう主人公のタンの凝り固まった眼差しにも共感を持って描かれているんですよね。

 

 

観客も旅の仲間に

主人公は、かつての人気UFO雑誌、今は落ちぶれた廃刊寸前雑誌「宇宙探索」の編集長タンさん。うらぶれたアパートで「物欲は資本主義の罠」なんて嘯きながら粗末なメシを食っている、完全ないわゆる「負け組」です。ドキュメンタリー調のカメラは彼のどうしようもなさ、可笑しさ、哀れさを撮しながら、同時に愛しさも捉えていく。

 

それが端的に示されていのが最初のシークエンス。成り行きで後生大切にしまっていた宇宙服を着てみたらヘルメットの接続部が壊れ、中に閉じ込められる形になってしまったタンを、みんなが何とかして救いだそうとするんですね。鍵屋を呼んで、救急車を呼んで、果てはクレーンに宙吊りにされる事態に……(何かに閉じ込められるとか何かにはまって出てこれないみたいな中国のニュースって実際よくテレビでも見かけるよな)。

このターンでもう、わたしはすっかりタン編集長のことも、この映画のことも大好きになってしまいました。

 

ほんとにねー、タンさん、ほとほとどうしようもない(笑)。でも、編集部にいる誰もが彼を放っておけないんですよ。事務員なのか宣伝部長なのかはたまた世話係的な存在なのかわからない(笑)、古参の編集部員のチンさんなんて「暖房が冷たい」だの「無駄金ばかり使って」だの文句垂れ垂れしながらも、結局はタンさんに付いていく。

人気雑誌として全盛期だった当時の編集部は、きっと多くの人で賑わっていたはず。でも今は数人の部員のみ。おそらくUFO人気が下火になると同時に、みんなタンさんから、そして宇宙という夢から、離れていった……のでしょう。

でも、チンさんが今もあそこに留まっているということは、彼女は未だに、タンさんに夢を託しているのではないかとも思うんですよね。ぶーぶー言いながらも、彼に夢を叶えて欲しいと思ってる。一番現実的な場所に軸足を置いている(ように見える)彼女が、タンさんの唯一の理解者なのも、なんとなく納得できるような気がしました。

 

ちなみに本作の英題は「西遊記」と同じ"Journey to the West"なんですけど、タンさん=三蔵法師という位置付けなんだそうです(ちなみに鍋少年のスンイートンが孫悟空、UFO乗りおじさんは仙人的な扱いらしい)。三蔵さまも確かに、経典探しに行くぜ!って遠いところまで旅に出た人だから、当時の人からしたら危ういと言えば危うい人だったのかもな……?

 

なんだろ、信念を持つ人ってのは、どんな難所でも突破しようとするでしょう。例えその道が、踏み外せば奈落の底へまっ逆さまな崖の端でも。そんなん、周りで見てる人からしたら、ほんと気が気じゃないよね。だから「まったくもう!」と言いながらロープで自分とその人を繋いで、一緒に進むしかない。それこそ運命共同体みたいに。

タンさんに対して、チンさんや他の旅の仲間たちもそんな気持ちがあったんじゃないのかな。

 

それは多分、観ている観客も同じ。

わたしは子どもの頃からUFOとかUMAとかが大好きで、そういう特番は欠かさず観ていたんですね(いつのまにかテレビではそういうムー的な番組はやらなくやってしまいましたね……大半がやらせだったので仕方ないけれど)。

だからね、タンさんが先へ先へと進む度、このあと何が待っているんだろう?というわくわくと、「何もなかったらどうしよう……」という不安と、いやそんなこともうどうでもいいから行けるところまで行って欲しい!というぐちゃぐちゃな感情のまま観てて、なんかね、なんでもないシーンでもずっと涙目でした。

 

気づいたら我々観客も、タンさんと一緒に旅をしている気持ちになっちゃうんですよね。

いやほんと、変な映画だったわ……。(褒めてる)

 

 

馬鹿と損をしに行く

っていう中国の諺?言い回し?があるんだそうです。これは夫さんに座右の銘を聞いたときに言ってた言葉で(辞書などで確かめたわけじゃないから意味とかは不明です。すみません笑)、その話をした時に夫さんが、馬鹿について行ったら当然ひどい目に遭うと思うんだけど、でも自分はそっちの方が楽しそうだから馬鹿について行きたい、みたいなことを言ってたのね。

わたしはね、その時にこの人と一緒にいられたらいいなと思ったわけ。

 

……いきなりノロケかい!!って感じなんだが(めんごめんご)、そうじゃなくて、わたしはこれまでいろんな人に迷惑をかけてひどい目に遭わせてきた「馬鹿」の方で(まぁ詳しくは書かないけど、実際親や先生から「どうかしてる」と言われ続けてきたので)、言うなればずっと誰かしらに「損」をさせて生きてきたと思ってるのね。だから、「損するのが楽しい」、って言った夫さんが、わたしにとって崖の端で自分とロープを繋いでくれる人なんじゃないかって……あ、ごめんやっぱノロケだったわーてへぺろ。わぁ痛い痛い!空き缶を投げないで!! 

 

いや、なんで急にこんな話をし出したかというと、この映画はまさに「馬鹿と損をしに行く」映画だから。「宇宙人を探しに行くぞ!」なんて、普通に考えたらどうかしてるし、きっと誰も本気にしない。でもね、こういう、誰も成し遂げられないことができるのは、きっとタンさんや旅の仲間たちのような、「その場所」を目指し続ける人たちだけだと思うんですよ。

 

 

誰も見たことのない場所へ

多分、この映画の登場人物のように、「他の人とは何かが違う」と感じながらもどこにも身の置き場のない人、生きづらさを抱えていたり、うまく「普通」ができない人たちは、世の中にたくさんいると思います。わたし自身、服薬や通院を続けないと通常の生活がままならないので、そういう意味でもタンさんや「旅の仲間」たちの姿に何度も胸がいっぱいになりました。

彼らが連れていってくれた場所は、わたしが目指したい場所でもあったから。

 

多分これは万人受けするような映画では全然なくて、「なんじゃこりゃ?」で終わる人もいると思います。

ジャンルもSF?コメディ?ロードムービー?

モキュメンタリー風だけど、そうとも言えないし、そもそも登場人物たちが言っていることほとんど意味わかんないし(笑)。

 

それでもわたしは、この映画は傑作だと思います。なぜなら、わたしみたいな人間でも、最後まで諦めなければ、誰も見たことのないような景色にたどり着くことができる。そういうことを、描いている映画だと思うからです。

もし、ほんとうにそうだとしたら……わたしが生きている意味もあるんじゃないか?

そんな風に思える映画でした。ほんとうに大好きです。

 

 

わたしたちはどこから来て

「ビッグバン」(グループじゃないよ)が宇宙の始まりだ、という話は皆さんご存じだと思います。そこで生じた塵が集まって星が作られ、やがてその星も超新星爆発と呼ばれる大爆発を起こし、宇宙の塵となる……子ども向けの図鑑でもよく見かける説明です。

なのでもちろん、地球も宇宙の塵から出来ています。そして地球そのものだけでなく、地球に存在するものすべてーー自転車もキリンも公園の砂もスカイツリーも、そして我々人類も、元を辿れば宇宙に散った塵からできていると言えます。

つまり、わたしたちは宇宙から来て、宇宙に還る存在と考えてもいいかもしれません。

 

わたしが考える「SF」とは、そういった思考の営みを深く探索していく過程そのものを意味するものです。

「わたしたちはどこから来てどこへ行くのか」。これが「SF」における永遠の問いです。

本作では、それがごくごく私的な「問い」として登場するんですね。

 

タンさんはうつ病で苦しんでいた娘からの最後の言葉である「人類はなんのために存在するのか」という問いにとらわれている。宇宙人と接触することができれば、その答えがわかるのではと考えているんですね。

でも旅の終着地で、その答えがまさに自分の中にあったことに気づく。

 

先ほどのSF的問い的に答えるならば、「わたしたちはどこへでも行ける」し、それと同時に「わたしたちはどこにも行けない」。なぜなら「わたしたち一人一人が宇宙であり、宇宙はわたしたち一人一人である」から。なんだか禅問答のように聞こえますが、これこそが真理でもあります。

わたしが生きているのは、わたしが宇宙だから。わたしの存在そのものが宇宙だからなんです。

うーん、付いてきてくれてるかな???

 

この映画はそういうSF的思索をすごく壮大に、かつとても個人的に、それゆえ温かく描いています。わたしはそういうSFがとても好きなのです。

 

とはいえ、多少危ういところがある映画であるのも事実ではあって。例えば精神疾患への誤解を生じさせるような演出や発言があったり、タンさんの発言に異性愛を前提とするような発言があったりもするんですよね。

ただわたしはどちらも彼が最終的に到達する人類愛、というか生命愛に帰結するための布石だったようにも感じられたので、あまり咎める気にはならないかな。

 

終盤、結婚式といういかにも家父長制異性愛規範ガチガチのセレモニーの場で、それにカウンターするような話を語るということからも、タンさんが旅を通してそれよりも大きな何かを受け取ったと捉えるのが自然な気がします(なのでパンフの最後にあった配給会社さんの「タンさんとチンさんは結ばれたのでは」という解釈には明確に否定したい派です。すみません)。

 

ラスト、彼が言わんとした言葉をあえて語らせないのも(というかそれを映像で見せてくれたんだろうなと思う)、とても好きな終わり方でした。彼が読もうとした詩は、わたしたちの中にすでにあるものなのかもしれません。きっと。

 

 

以下はなんとなく連想した映画。もし本作が好きなら観てみて~。

 

メランコリア

メランコリア

  • キルスティン・ダンスト
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↑はブログも書いてます。

ちょう面白いよ~!!

 

作品情報
  • 監督 コン・ダーシャン
  • 脚本 コン・ダーシャン、ワン・イートン
  • 製作 ゴン・ゴーアル
  • 製作総指揮 ワン・ホンウェイ
  • 原題 宇宙探索編輯部 Journey to the West
  • 上映時間 118分
  • 製作年 2021年
  • 製作国 中国
  • 出演 ヤン・ハオユー、アイ・リーヤー、ワン・イートン