あらすじ
アンドロイドの鈴木洋子は人間が大切な人に宛てた荷物を運ぶため、AIロボットを搭載した宇宙船で宇宙を旅している。
感情のない洋子には、テレポート機能を使えば瞬時に届けられる荷物を、時間をかけて運ぼうとする非効率的な人間のことが理解できない。やがて長い旅の末に「30デシベル以上の音を出すと死滅する弱い人間が暮らす」という「ひそひそ星」にたどり着いた洋子。そこで人間の営みを目の当たりにした彼女は、初めて「お届けもの」の意味を知る…。
『希望の国』『ヒミズ』に続き、東日本大震災の被災地をロケ地に選んだ園子温のアート系SF。
敬愛する映画ブロガーのあのまりーさんが、「変才 園子温監督映画全39作を5段階評価してみた」という記事を書かれていて、それを読んでから気になって、未見だった園作品に手を出しはじめました。
お園さんはエログロが売りみたいに思われてる人ですけど、わたしはそっち系よりも園作の中ではあんまり評判のよくない(?)『気球クラブ、その後』とか『ハザード』とかも結構好きで、トンデモ特撮『ラブ&ピース』なんかは園ベスト5に入るくらいには大好きなんですよね。
ただ本作はなんとなく食手が伸びずにいたんです…。
でも結果、観てよかったです!
かなり好きな映画でした!
今年は新作意外も気に入った作品は感想を書く!と目標に掲げましたので、有言実行して書いていこうと思います。
多分、ネタバレです。
アンドロイドはアマゾンさんの夢を見るか?
鈴木洋子(演じているのは園奥さん神楽坂恵)は魔女の宅急便ならぬアンドロイドのアマゾンとして、宇宙各地の人類に荷物をお届けしています。
簡易的なキッチン(トイレ風呂はないのかな?)のある畳の四畳半一間のザ・昭和アパートな宇宙船は多少ガタが来ているが、洋子さんは気に入っているよう。搭載されているAIも若干バグり気味で、宇宙ではなく蛍光灯の虫を見つめて進路を決めている。
ある日洋子さんは、かつてのこの宇宙船の持ち主だった別の洋子モデルが旅の記録を残した音声データを見つける。
退屈しのぎにそれを聞きながら、時々お茶を飲んだり、掃除をしたり、船の修理をしたりして道中を過ごす。
やがてたどり着いたのは瓦礫と廃墟の広がる星。
人間はもうほとんど生き残っていない。もはや滅亡に向かう種なのです。そんな人間たちと、二言三言ことばを交わし、別れる洋子。
そうしてほんの少しずつ、人間のことを理解していくようになる…。というのが大まかなお話。
一応物語はありますが、起伏はなく白黒なこともありかなり単調に思えます。
あと、2014年に撮影されただけあってやはりまだ被災の痕が生々しく感じられましたね…。津波で崩れたであろう建物とか、草の生えた荒れ地に漁船とか、まだちょっと、いやかなり、ドキっとしますね…。
公開は2016年。その時のわたしにはまだ早かったと思うので、当時じゃなくて今観てよかったのかも。
アート系ノスタルジーSF
お園監督は『自殺サークル』とか『愛のむきだし』とかからも感じることなのですが、ご本人が詩とか前衛アート系から来た人だけあって、台詞も詩的というか観念的だし、どちらかというと「映画」というより「演劇」に近い作風だよなぁ、と個人的には思うんですよね。
本作もかなりそっちよりの作品で、最初は「元は戯曲なのかな?」と思ったくらい。
この人は映画人というより「アーティスト」なんだなぁ、というのをね、ひしひしと感じましたよ。
『2001年宇宙の旅』よりは、機械的なものもそうなんだけど、内包しているテーマ性も共産圏のSFぽい。
監督はアレクサンドロ・ソクーロフに刺激を受けたと言っているそうですけど、海や森だったり、廃墟や瓦礫はタルコフスキーの『ストーカー』的でもあり、また、どこかほのぼのとしたチープさは園版『不思議惑星キン・ザ・ザ』を目指したのか?(笑)とも思えます。
あと、わたしが最近観たせいもあるけど、終盤の影絵とかはチェコの『イカリエXB1』っぽさも感じました。
構想自体は25年以上も前、監督が『自転車吐息』で評価された時に遡るそうで、元々のロケ地の候補は「夢の島」だったのだそうです。
それが、3.11により図らずも東日本大震災の被災地が「最適なロケーション」となり、その背景も相まってノスタルジーを感じさせる作品となっています。
つまりは「夢の島」=ごみの山を舞台にしようとしてたという点からも、失われたもの、捨てられたもの、もう二度とは戻ってこないもの、という元々のアイデアにあったものが、被災地を舞台にしたことによって、意味合いが補強されていると言えるわけです。
そのことに、眉をひそめる人がいることも、なんとなく想像できます。ある意味で「被災地を消費している」ともとらえられかねない撮り方をしているのですから。
フォトジェニック被災地
なんというかね、撮り方というか切り取り方というかが、かなりフォトジェニックなんですよ。
さっきも「演劇ぽい」と書きましたが、そういう被災地の撮り方もそうだし、屋形船然とした宇宙船(あれは宇宙=海ということの比喩なのだろうか)とか、旧式ラジオみたいなかわいい子ども声のロボ(宇宙系SFでかわいいロボはかなり大事な要素!!)とかも、ガジェットや絵作りにもちろんこだわりは感じられるんですけど、それは「映像」としてというよりも、「舞台装置」としての側面が強いように見えたんですよね。
監督のイメージを映像化するための装置。その道具としてあの場所を利用したに過ぎない。
でもわたしはね、これはある意味で救いの形なんじゃないかと思ったの。悲劇のあった場所としての記録ではなく、「映画のロケ地」としての側面があるということは。
そして、多分「被災地としての被災地」は決して永遠ではない。いつかは「復興」し、「被災地」は消えていく。もちろん、それはいいことなんだけど、でもその状態を、ドキュメンタリーなニュースとしてではなく「フィクション」として「物語」として「映画」として残しておくことで、きっと癒される人もいるはずだと。
洋子が届けているのは遺品であり、漂流物であり、死者からのメッセージでもある。ゴミのように見えるシロモノでも、当人にしてみたらかけがえのない唯一無二の思い出。
それは人に悲しみを思い起こさせるけれど、そこには個々の「物語」がある。
この映画は多分、すべての人ではなく、そういう喪失を抱えた人たちに宛てた、監督の「お届けもの」だったんじゃないのかな。
というわけで、ぼんやりとした感想を書いてみましたが、わたしはとても好きな映画でしたよ~。
気になる方は是非どうぞ。
作品情報
- 監督 園子温
- 脚本 園子温
- 製作年 2015年
- 製作国・地域 日本
- 原題 THE WHISPERING STAR
- 出演 神楽坂恵、遠藤賢司、池田優斗、森康子