映画監督による性的搾取・性暴力についての報道を契機に、様々な人が日本の映画業界内の理不尽な暴力的な行為、および不健全な体制について声を挙げはじめています。
被害を受けた方々、つらい思いをなさった方々を思うと、本当に心が痛みます。そして、ただの映画ファンであるわたしにできることはないだろうか?と、最近はずっと考えていました。
今回はそのことをについて書いていきたいと思います。
2017年にハリウッドで俳優らが業界内におけるセクハラ・性暴力を告発する「#Metoo」運動が盛り上がり、大物プロデューサーや監督、大物俳優らの酷い行為が明らかになりました。それは結果的に業界を変える後押しとなり(まだ十分とは言えないでしょうが)、多くの人があらゆるセクハラ・性暴力へNoを示す大きなムーブメントとなりました。
日本にもその運動は波及しましたが、映画業界における告発は実際にはほんの一部にとどまりました。その理由はおそらく、日本では俳優やスタッフが守られる体制が不十分なこと、そして被害者が声を挙げづらい日本の風潮にあるのではないかと思います。例をあげるまでもなく、被害を告発した人や声をあげた人たちに対する二次加害やバッシングは相当に酷いものだと感じます。実際、今回の告発者に対してもSNSやネットの書き込みなどに信じがたい言葉が並んでいるのを目のあたりにしました。
2017年には、松江哲明監督が『童貞。をプロデュース』(2007)において、出演者への性的な加害行為があったと告発されたこともありましたが、その時も監督を擁護するような意見がなされたり、逆に被害に遭われた男性を誹謗中傷するような声もありました(わたしは当該作品及び告発後の監督の作品は一切観ていません。今後も観ることはないと思います)。
また、性被害に対する「映画好き」を自称する人たちの心ない言葉を目にすることもあり、わたし自身「映画(特に日本映画界)」への不信感が募り、「もう映画観るのやだな」と落ち込むまでに至ったこともあります。
そういった現状は、被害者を貶めるだけでなく、結果として加害者を増長させることに繋がりかねません。中立を装って加害を矮小化したり被害者を蔑ろにするような言動は、厳に慎むべきだと考えています。そういったことの積み重ねが、これまで多くの被害者を「泣き寝入り」させてきたのだと思っているからです。
わたしは、被害に遭われた方の側に立ちます。そして、そういった言動に反対します。
まず最初にそのことを示しておきたいです。
そして最近、有志の監督らが声明を出し、俳優やスタッフらからの告発も相次いでいるところを見ると、一時期のMetoo運動にも近い大きなムーブメントとなるのではないかと、期待しています。そしてこれを機に、日本の映画業界全体が変わってくれることを願っています。
そんな動きの中で、いち映画ファンとしてわたしができることを考え、まとめました。
①パワハラやセクハラ、性的搾取などを含むあらゆる暴力の上に成り立つ作品は観ない
この場合、「作品に罪はない」は免罪符にならないと思っています。また「事実かどうかわからない云々」と語る前にまずは、勇気を持って声をあげた被害者や告発者の言葉に耳を傾けたいです。そのため、すでに刑事事件として扱われているものや裁判が行われているものはもちろん、報道などで明るみになったり被害者からの訴えがあったりした作品も鑑賞を見送ります。すでに過去に鑑賞しているものに関してはは、再鑑賞しません。
②過去の映画製作において、権力を用いた暴力的な行為を働いた映画関係者が製作に携わる作品は観ない
①にあたるような暴力行為があった当該作品だけでなく、そのような行為を過去に働き、また刑事罰や民事での和解等しかるべき責任が果たされていない人物が関係(監督・出演など)していると判明した作品の鑑賞は見送ります。(映画製作外での犯罪や暴力行為に関しては被害者の有無・悪質性などを鑑みケースバイケースで考えます)
また、①②に該当する作品に関しては、その公開も支持しません。
③コンプライアンスに準拠し、製作に関わるキャスト・スタッフが守られている作品を観る、積極的に応援する
暴力的な行為への反対、健全な労働環境などを掲げ、スタッフキャストが安心して作られたと思しき作品を支持します。本当はそれが普通になって欲しいんだけど。
④二次加害に絶対に加担しない
暴力的な行為を告発した被害者に対する誹謗中傷・嘲笑含むあらゆる二次加害に反対します。加害者を擁護するような発言も含め、告発者の方々を貶めるような発言に断固として反対します。
「暴力で成り立った作品」をこれ以上作られないようにするには、まずそれを「ビジネス」として成立させないことだと思います。そのためには「観ない=お金を払わない」が映画ファン=消費者としてできる唯一のことだし、一番効果的なことだと思っています。
そして同時に、そうではない作品を支持すること。今回声明を出された監督及び賛同を示した監督(中には「パワハラがあった」と告発された監督もいるようなので、そこは慎重に精査します)が、今後不利益を被ることのないよう、いち観客として応援できればと思っています。
またおそらく、監督の中には若手や新人などで立場の弱い人もいることでしょう。逆に俳優の中には芸歴の長さやその影響力により裁量権を握っている人もいることと思います。そういった、肩書きからだけではわかりにくい上下関係で生み出される暴力的な行為にも反対していきます。
好きな作品が「実はこういうことがあった」と後から知るのはつらいものです。楽しみにしていた作品が観られなくなるのはとても悲しい。そして、一番つらく悲しい思いをしているのは被害に遭われた方々なのは当然です。
製作者の、特に上の立場にある人たちはそんな思いをする人がないよう、心を配って映画を作って欲しい。そして映画を好きな人たちのことを裏切らないで欲しいのです。
この文章を公開するかどうか、実はすごく悩みました。反発されるかもしれないし、「弱小のくせになんだこいつ」(これには反論できない)と思われるかもしれない。
それに映画ファンにとって「映画を観ない」と宣言するのはとても大きなことです。
もちろん、底辺の弱小ブロガーであるわたしめがこんなことを言ったところでどうにもならないことはわかっています。客が一人減ったくらいで映画館も製作側も痛くも痒くもないでしょう。わたしは業界の人間ではない一般人ですから、所詮できることなんて限られています。直接的に被害者の方々に何かできるわけでもないし、業界への働きかけができるほどの力もないです。
ですが、映画ファンであるわたしが自分なりの立ち位置と態度を示すには、これくらいしか方法がないと思いました。それに、これだけ大きな動きとなっているにも関わらず、このまま何も言わずに黙って映画を観たり、ブログを更新したりするのは、なんだか映画に対してとても不誠実なことのように思えたのです。
正直、どこまでできるかわかりませんし、これが正解なのかもわかりません。でもこれを、ただの無力な映画ファンであるわたしなりの「声明」としたいと思います。
わたし自身、自分が完璧な人間だとは思っていません。知らぬうちに誰かを傷付けたり、過去の記事でもとんでもないことを書いていたりしてると思います。反省すべき点も多い人間だと、自覚しています。
でも、だからこそ、大好きな「映画」に対しては誠実でありたいのです。
一人の観客として、いや、一人の人間として、被害に遭われた方々に寄り添い、「映画」に向き合っていきたいと思います。それがわたしの目指す「映画ファン」のあり方なので。