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ザ・ターニング【映画感想・考察?】女にとっての「恐怖」とは★★☆(2.9)

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ザ・ターニング (吹替版) (4K UHD)

あらすじ

教師のケイト(マッケンジー・デイビス)は両親を喪った由緒ある家柄の一人娘フローラ(ブルックリン・プリンス)の家庭教師として雇われる。程なくしてフローラの兄マイルズ(フィン・ウォルフハード)も寄宿学校を退学になり屋敷に戻って来たことで、ケイトは二人の面倒を見ることになる。

しかし、兄妹は次第にケイトに反抗的になり、不可解な現象が彼女に襲いかかる。それは単なる妄想か、それとも屋敷に取り憑いた男の亡霊の仕業なのか……

 

 

名作リメイクの難しさ

ジャック・クレイトン監督による1961年の映画『回転』の現代リメイク。原作はヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』。

 

回転 [DVD]

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  • 発売日: 2007/08/25
  • メディア: DVD
 

 

 

ねじの回転 (光文社古典新訳文庫)

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わたしはこの『回転』がホラー映画のベスト10作に入るくらい大好きなんですよね。デボラ・カーの鬼気迫る演技、古典的でありながらぞっとする恐怖演出、不気味なお屋敷、現実か妄想かわからないストーリー、そして、恐るべき子どもたち……。

いわゆるゴシックホラーの傑作だと思っています。

 

というわけで、そんな名作のリメイクであります。

ずいぶん前から製作のアナウンスはあったものの、それ以来音沙汰なくどうしたもんかと思っていたら、12月にしれっとGEOさんで先行レンタルされていました。

どうやら世間的にもイマイチ扱いなようで……まぁ、それもさもありなんというか。

とは言え、お屋敷の雰囲気は素晴らしいし(ロケ地はアイルランドのキラダリー・ハウス&ガーデン)、『フロリダ・プロジェクト』でいい感じの悪ガキ具合を見せてくれたブルックリン・プリンスちゃんは今回もいい感じに無邪気だし、オリジナル版よりも年齢が少し上の設定の兄マイルズを演じた、フィン・ウォルフハードくんの怪しげでいい意味で不健全な佇まいも最高です。

 

監督は、フローリア・シジスモンディ。2010年の映画『ランナウェイズ』の監督やマリリン・マンソン、シガーロスなどのMV、写真家、アーティストとして知られているイタリア系カナダ人の女性監督です。

劇中使用される音楽や、物語がカート・コバーンの死ではじまるなど、彼女のロック趣味が随所に散りばめられているのも特徴的です。

 

『回転』という物語は「何を恐怖としてとらえるか」で解釈が変わる作品でもあると思うんですが、今回のリメイク版ではいわゆる「有害な男らしさ」を主人公の恐怖対象としているんですよね。

亡霊として現れる下男の「クイント」、及びその影響を受けたマイルズが恐ろしいのは、彼女にとってそれ=マチズモ的なものを想起させる存在だからだ、という解釈を与えています。

これは原作のアプローチとしては興味深いなと本作を評価したい点なのですが、ただ一方で、原作や1961年版にあった余白や不気味さを狭めてしまったようにも思います。

また、そういう解釈をしておきながら、あのオチはいかがなものかとも思うんですよね……。

 

ただ物語をなぞるだけのリメイクにしたくなかったんだろうなってこともわかるし、古典を新しい視点で描こうとした試みも理解できるのですが、やはり偉大な名作をリメイクするのは難しいものなんだなぁ、と改めて感じました。

 

 

以下、映画『回転』及び原作と本作のネタバレをしつつ、考察などしていきます。

でもめちゃくちゃ的外れかもしんないから気をつけて!

 

 

 

決定的な違い

本作と1961年版の大きな違いと言えるのが、おそらく、主人公の年齢でないかと思うんですよね。

 

1961年版でデボラ・カーが演じた主人公は40代のオールドミスという設定。

その年齢で独身であることから長らく性的なものから遠ざかっているわけですね。けれど屋敷にやってきて、亡霊である下男クイントと前家庭教師ジェスルの淫らな関係を知り、またその影響下にあった兄妹の不穏な行動によって、次第に自身の奥底にしまいこんでいた欲望がむくむくと膨れ上がって行くわけです。

主人公は(自分も含めた)大人のそういった「醜さ」から、無垢なる子どもたち(原題の「Innocent」)を守ろうとするわけです。しかし、子どもたちの中にもその「醜さ」が垣間見えてしまい……最後の悲劇的なラストに繋がっていく。

『回転』は、性的なものに生理的嫌悪を抱きながらも同時に深く惹かれてしまう、そんな主人公の危うさも描いていたと思うんですよね。

 

一方、現代版(舞台は90年代だけど)として描かれた本作の主人公は20代後半から30代前半。母親が精神的な疾患を患っており施設に入っていることだけが気がかりですが、ごくごく普通の若い女性です(こちらの方が原作には近い)。

それにより、性的なものへの反応がデボラ・カーとは違います。

また、彼女は子どもたちをデボラ・カーほど「無垢なるもの」だとは思ってない(ように見える)。特にマイルズのことは明らかに恐れているんですよね。

 

それが顕著に現れていたと思えるのが、マイルズからキスをされるシーンです。

デボラ・カー版では、一瞬恍惚の表情を浮かべるのですが、本作のケイトは明らかに嫌がっています。

彼女はマイルズを子どもだから怖がっているんじゃなくて、「男だから」怖がってるんですよ。

これ、デボラ・カーはマイルズのそこに魅力を感じて、その自分自身の邪な欲望に恐怖していたわけですが、それとは真逆の捉え方をしてるんですよね。

前述したように、本作の主人公ケイトが恐れているのは、クイントが象徴している、かつマイルズの中に存在する「有害な男らしさ」なんです。

 

 

明かりをつけても恐怖は消えない

また本作では、クイントとジェスルの関係は同意の上ではなく、クイントの加害によるものと設定されています。

特に作中言及されているわけではありせんが、寝室で怯えるシーンが度々あったり「明かりをつけても恐怖は消えないぞ」といったマイルズのセリフもあるように、ケイトもまた本作のジェスルに近い経験があったのかもしれません。

 

ちなみに、特典として収録されていたアナザ-エンディングは、ケイトがマイルズをクイントだと見誤って絞殺し、マイルズの口から蜘蛛=クイントの亡霊(おそらくマチズモ的なものの象徴)が排出されてマイルズは息を吹き返す、というものです。

フローラはそれを喜びマイルズに飛び付きますが、ケイトは彼を見て悲鳴をあげます。

おそらくあの悲鳴の意味は、彼女にとって、たとえ「有害さ」が消えてもマイルズは「男」のまま=恐怖の対象であることには変わりがなかった、ということなんじゃないかと思います。

 

個人的にはこちらのエンディングでも良かったと思いますけどね(観る人によっては男性嫌悪的と捉えられかねませんが)。

 

 

「母親」という存在

ケイトにとっての恐怖は「有害な男らしさ」だけではありません。もう一つの恐怖は「母親のようになること」です。

 

映画も原作も、家庭教師の恐怖体験はヒステリーによる妄想なのか、それとも本当に悪霊が存在しているのか、というのが物語の主軸となるのですが、その「妄想」を補完する(というか女性特有のヒステリー、という短絡的な回答を回避する)ために、遺伝的な精神疾患(統合失調症か?)を持ち出しているわけですね。

 

ラスト、子どもたちと屋敷を抜け出す夢を見たケイトは、兄妹に「あなたたちも亡霊を見たんでしょう?」と詰め寄りますが、頭がおかしい、と一蹴され、精神病院にいる母の顔に自分の姿を見て悲鳴を上げて終わります。

 

彼女が子どもの中に「有害な男らしさ」を見いだして恐怖していたのも、巡り巡れば母親由来のものなのかもしれない……。

……そういった解釈をすることも可能ではありますが、ただ、そのために精神疾患を持ちだすことは、わたしはあまり感心しません。

 

「自分は母親と同じだった」と気づくことは、実は多くの女性にとって恐怖に近いものではあります。そして、それは避けたいのに避けがたい、呪縛のようなものなんですよ。

それを取り入れようとしたのだろうということはわかります。

ただそれを「病気」ではなく、別の形で表現する方法はいくらでもあったのではないかなぁ、と思うんですけどね。

 

 

と、いろいろ書きましたが、語り甲斐のある作品ですし、総じて悪い映画ではないと思いましたよ。

面白いかと言われると、ちょっと悩んじゃいますけど(どっちやねん!笑)

 

 

作品情報
  • 監督 フローリア・シジスモンディ
  • 原作 ヘンリー・ジェームズ
  • 脚本 チャド・ヘイズ、ケイリー・W・ヘイズ
  • 製作総指揮 セス・ウィリアム・マイヤー、ジョン・パワーズ・ミドルトン
  • 音楽 ネイサン・バー
  • 製作年 2020年
  • 製作国・地域 アメリカ
  • 出演 マッケンジー・デイヴィス、フィン・ウォルフハード、ブルックリン・プリンス