あらすじ
100年戦争の真っ只中の中世フランス。忠実な騎士カルージュ(マット・デイモン)は妻マルグリット(ジョディ・カマー)から衝撃の告白を受ける。自分の不在中に友人のル・グリ(アダム・ドライバー)から暴行を受けたと言うのだ。しかし相手は領主のお気に入りであり、法的な裁きを期待することはできない。カルージュは、自身の誇りをかけてかつての親友ル・グリとの決闘裁判にのぞむことになる……なんていうお前らの事情なんてどうでもええわ。
すでに多くの方が秀逸なレビューを書いているので、わたしなんかがゴタゴタ抜かすのはお門違いだとは思ったのですが……。ただ、いろんな方の感想を見聞きするなかで「やっぱりわたしはわたしで言っておかないといかんかな」との思いにかられたのでごくごく簡単に書いていきますね。
確かに、評判に違わぬ面白さでした。が、
地獄……(げっそり)
インティマシーコーディネーターが参加しているということもあってかなり配慮がなされていると感じましたし、件の暴行シーンもいわゆるレイプリベンジものなんかに比べたら、表現じたいは控えめだと思います(だから余計キツいともいえるのだが)。とはいえ、女性がつらい目にあうシーンが複数回あるのは間違いないので、そういうのが苦手な人は誇張でもなんでもなく、ただだたキツいと思います。
暴行そのものだけでなく「二次加害」的なシーンもまじで酷くて、正直、途中退席しようと何度か思ったよ。クソが!クソが!と心の中で悪態を吐き続けてなんとか乗り切りました……(げっそり2度目)
そういう立場の人の感想だと思って読んでくださると幸いです。
……それにしてもアダム・ドライバー、あんたはほんとになんなんだ……!(褒めてます)
以下ネタバレもありつつ、取り留めもなくつらつらと。例によって例のごとく大したことは何にも書いてないです。
お前らの「真実」なんてどうだっていい
夫、加害者である夫の友人、被害者である妻の三人の視点から描き、それを彼らの「真実」という名目で描いていく三部構成が本当に巧みです。前の章で描かれていたことが次の章では省かれていてその人にとって記憶にないくらい「どうでもいいこと」となっていたり、逆に立場が変わっていたり付け足されて、それぞれが重要視していること、見えているものの違いが明らかにされていくんですね。
特に象徴的だと感じたのは、カルージュとル・グリが和解の握手をするシーン。二人の男にとっては「どっちが和解の言葉を言ったのか」が焦点だったようですが、妻マルグリットとしては「どっちでもいい」というか、どうでもいいことになっているわけですね。あと、マルグリットとル・グリの会話シーンも、マルグリットの章では完全に消えてる。彼女にとってあれは、どうでもいい男とのどうでもいい会話だったということですね。
そうやって見てみると、どの事象もそれぞれの見方を変えた「真実」として描かれている。それじたいに異論はありません。
ただし、マルグリットの章のキャプションだけ「真実」が強調されていたことを考えると、暴行の際に何が起きたのかにおいては被害者であるマルグリットの視点だけが「真実」なんですね。
こういうこと言うと「被害者の意見ばかり聞いても不公平」とか「加害者側の言い分も聞くべき」とか言い出す人が絶対にいると思うんですけど、でも、ここでの事実はどう考えたって「一人の女性が暴行された」以外にないじゃないですか。
「被害者の証言にも嘘があるのでは」とか「冤罪の可能性も」なんて言う人もいますが、ここではっきりと言っておきますね。わたしはね、この映画について語るときに「冤罪」の話を持ち出すのは不誠実だと思うのですよ。それは心を砕いてこの作品を作った製作者にもアンフェアな態度だと思います。
なのでわたしは、その手の言説を一切支持しません。
ていうかね、「同意の上だった」「愛し合ってると思っていた」「彼女の方が誘った」そんな単なる思い込みを「真実」に採用されてたまるかってんだよぉおおおお!!
この手のクソ理論がまかり通るのって、ほんっっとにクソだとなと思う。加害者側の「真実」なんてものはただの言い訳に過ぎないんですよ。
「楽しんでいたのでは?」「誘惑したのでは?」
は?バカなの?なんでこんなこと言われなきゃなんないわけ?
そもそも、一幕目二幕目で描かれていた男二人の友情と確執なんてものも、マルグリットの受けた傷の前ではどうだっていいんですよ。お前らが仲違いしようがこっちは知ったこっちゃねぇ、ですよ。
土地の権利?どっちが助けたか?和解の言葉?クソどうでもいい。
名誉?プライド?神の審判?勝手にやってろ。
妻の告白を聞いて夫が最初に言った言葉は「あいつ(ル・グリ)は俺に邪悪なことしかしない」ですよ。いや強姦されたのお前じゃないだろ。ふざけてんのか?
傷つけられ、踏みにじられた人をまた傷つけ、踏みにじる行為。それが何度も繰り返される絶望。それを地獄といわずしてなんと言う?
何度も言います。
お前らの「真実」なんて、どうだっていいんだよ!!!
クソシステムを生きるために
当時は、まさに物々交換のように女性が「やり取り」されていた時代。彼女たちが不自由なく生きていくには、結婚し世継ぎを産むという「つとめ」を果たさなければならなかった。その重圧と蔑ろにされる自身の尊厳に折り合いをつけながら生きていくしかなかったわけです。
当時の婚姻という制度は結局のところ、夫婦のためでも子どものためでもなく「男たちの社会」を維持するための手段でしかなかったわけですよね。
日本の平安時代の通い婚を「女たちが裏で支配していた」なんて言う人がいたりするけれど、あれだって、男たちが権力を保っていたからこそ、女性たちが生き抜くためにはより権力を持つ者の子を産むしかなかったわけで、「男社会」を維持するためのシステムの一つだったわけですよ。
そういうシステムの犠牲者とも言えるのがマルグリットの義母です。夫の死後は家を追われ息子の庇護下に入るしかなく、かつて性的暴行を受けても沈黙を貫いた人。「あなたは兵士が犯す田舎の娘と同じ」(こんなおぞましいセリフなかなかないよ)との言葉は、このクソシステムにおいては「女はみんな同じ」ということにほかならず、過去に悔し涙を飲んだ彼女だからこそ、女に権利などないことを身にしみてよくわかっている。
マルグリットの友人マリーもそう。彼女の夫はかなりの歳上でしたし、抑圧的でした。あの一瞬だけで、マリーがこのクソシステムから自力で逃れることは絶対にできないと思っていたことがわかります。だからこそ、彼女は「わたしなら告発なんてしない」とマルグリットを突き放すしかできないわけです(彼女が妊娠を喜んだ背景には、子どもを産む=つとめを果たせたことの喜びというのと同時に、日々のおつとめから解放されることの喜びも含まれていたんだと思うのよね)。
わたしは、マルグリットに寄り添えなかった彼女たちもまた、このクソシステムの「被害者」だったのだと思うのですよ。
火あぶりの刑罰などをマルグリットが知らなかった(知っていたら裁判を起こさなかったと言っていた)ことから、「彼女が何も知らなかったから告発できた」とする人もいますが、映画ではそのように描きたかったわけではないとわたしは思います。
彼女は読み書きができて、夫がいない間は効率よく家のことを取り仕切ることができる聡明な女性です。多くのことを知り、自身で考えて判断することができる彼女は、この時代のシステムの一部に組み込まれて生きていたとはいえ、決して夫やそのシステムに依存して生きているわけではないんですね。
自分の頭で考え、自分で行動できる女性だったからこそ、泣き寝入りして沈黙するなんてことはせず、暴行した男を告発することができたのだと思います。
そもそも、暴行されたのは妻なのに法の後ろ楯がないなんてクソ制度が平然と機能してたわけですよ。暴行を受けた自分ではなく、夫の方が「所有物を傷つけられた」として訴えを起こすことができるんです(それが夫の権利として認められていたというのもクソすぎる)。被害者にとってこんな屈辱的なことってないですよ。
出発点として、そういう構造的な不均衡が前提としてあったわけです。
そんなシステムに意義を唱えるような告発はむしろ、無知であったのならできるはずもないのです。
ただ、「一人の女性が暴行され、それを告発することがいかに難しいか」ということで言えば、残念ながら、本質的な部分では600年前も今もさほど変わっていなません。
そしてそれこそ、この映画の本丸です。
加害者はクソ理論を掲げて正当性を主張し、法律は被害者の味方にはならない。告発後には下世話な外野の二次加害的な詮索が続き、被害者の「真実」は常に蔑ろにされる。
ずっとそう。今もそうなのだ。
映画の中でマルグリットが受けた屈辱は、今も同じように存在していることなんですよ。
だから、こういう史実があったと今現在語る意義は、十二分にあったと思うのです。
裁きを受ける観客たち
しかしながら、わたしが何よりも秀逸だなと思ったのは決闘裁判に群がる観衆たちの姿です。マルグリットが受けた被害はそれによって完全に「見せ物化」されます。我々映画の観客もまた、カルージュとル・グリの下らない決闘(はい、下らないですねあんなの。ばっさり)に一喜一憂させられざるを得ない。
そこに彼女の意思は何一つないのに。
勝負の行方にハラハラしながらも、「いやなんでこんなことしてるんだ?」って観ていてほんと腹が立ってきたし、勝利して熱狂する群衆を見ているときの居心地の悪さったらないですよ。
結局わたしも、安全圏にいるあの無責任な観衆と同じなわけです。
もちろん、カルージュが勝って、マルグリットが死ななくてよかったってほっとしましたよ。でもね、だからなんだっていうんだ?
いやまじで、だからなんだっていうんだよ!!!
この映画によって、観客であるわたしもまさしく裁きを受けたように思います。
マルグリットが、夫が戦死した後に男社会というクソシステムから逃れてその後の人生を生きた、という最後の一文だけが唯一の救いのようにも感じられました。
そしてそれと同時に、マルグリットのようには生きられなかった「田舎の娘」たちにも思いを馳せました。彼女たちはわたしであり、そして、あなたなのかもしれないから。
どんな地獄でも、生きていかなければならないから……。
作品情報
- 監督 リドリー・スコット
- 原作 エリック・ジェイガー
- 脚本 ニコール・ホロフセナー、ベン・アフレック、マット・デイモン
- 製作総指揮 ケヴィン・ハロラン、ドリュー・ヴィントン、マディソン・エインリー
- 音楽 ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
- 製作年 2021年
- 製作国・地域 アメリカ
- 原題 THE LAST DUEL
- 出演 マット・デイモン、アダム・ドライヴァー、ジョディ・カマー、ベン・アフレック、ハリエット・ウォルター