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プロミシング・ヤング・ウーマン【映画感想】アタシのシカバネを越えて行け♡★★★☆(3.8)

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Promising Young Woman (Original Motion Picture Soundtrack)

あらすじ

過去に起きたある出来事により心に深い傷を負ったキャシー(キャリー・マリガン)は、夜な夜なクラブに出向き酔っ払った振りをして、言い寄ってくる男に制裁を食らわす日々を送っていた。

ある日、大学時代の同級生ライアンと再会したキャシーは自分が医学部を中退するきっかけとなった人物が幸せに暮らしていると知り怒りに震える。「前途有望」だった自分と親友ニーナのため、人生をかけて復讐を決意したキャシーだったが……

 

 

最初に言っておきますがこちら、巷で言われているような「復讐は何も生まない」「怒りに生きるのは悲しい」とかそういう映画ではないです。そうとらえることをわたしは別に否定はしませんけど、これはそういう映画ではないということだけは、はっきりと言っておきます。

 

以下ネタバレしています。

あと、読み返してみたらあんまり映画の話してなかったので、ちゃんとした感想が読みたい人は読まない方がいいです。

 

 

 

プロミシングを裏切り続ける者たち

まず、わたしが最初にいいなと思ったのは、開始早々、バーの男に凄んだあと一夜明けて道端を歩くキャシーをとらえたシーン。

彼女のシャツは赤く汚れ、すわ血か!?と身構えた次の瞬間、彼女が食していたホットドックのケチャップだとわかる。ほっとしたのもつかの間、建設作業員の男三人から「朝帰りか?」と声をかけられ卑猥な言葉を浴びせられる。

はぁ、なんたるリアル。

こういうの、経験したことないって女性ほとんどいないんじゃないかな?「笑っていなせよ」的なこと言われるのもほんと腹立つよね。死ねよ(ナチュラルに)。

 

しかし、キャシーは怯みません。立ち止まり男たちを見返し続けます。やがて捨てゼリフを吐いて男たちは去っていく。

はぁ、なんたるリアル!(爆笑)

つまり、彼女が立ち向かっているのは「男」そのものではなく、彼らの行為を許している「空気」だということがわかる。

女を容姿で見定め、性的な対象としてしか扱わず、なんならその権利が自分たちにあると思い込んでいる人たちが作り出す空気。

反吐が出るね。

この前半部分では、キャシーは誰にも復讐なんてしていません。そもそも、酔ったフリをしてお持ち帰りされることは悪いことでしょうか?実は酔ってないし、お前とはヤリたくない、と言うことに一体どんな間違いが?(とは言え赤い線の場合は何がなされていたのでしょう……)

その行為じたいの必要性は置いておいて、非難されるべきは酔った女性を手込めにしようとする側じゃなければ絶対におかしい。

でも、世の中はそうじゃない。

なんでなんだろうね。

 

泥酔するまで酒を飲むのが悪い、そんな場所に行くのが悪い、自衛が足りない。耳にタコができるくらい何度も聞いた。そして、その通りだとも。

つまり、わたしもずっとその「空気」を受容し半ば許容してきた人間です。おそらく多くの人がそうでしょう。

だってそんなもの、変わるわけがないから。

その空気を吸わずに窒息するくらいなら少しずつ毒に侵されて死ぬ方がましだ。

そう、わたしも、誰も彼もがニーナを殺しキャシーの人生を壊し、ヤングウーマンたちのプロミシングの裏切りに加担した一員だということです。

最悪だ。

 

 

いい人間なんていない

さきほど「空気」を受容してきたと書きましたが、その理由は簡単。単純に諦念であり、ただ「失望」したからに過ぎません。何度も何度も目にし耳にしズタズタにされた自尊心。取り戻すより「そういうものなんだ」と諦めた方が100倍も楽だからです。

おそらく、キャシーも同じでしょう。何度も何度も味あわされてきた数々の裏切りに失望したはず。

親友がされた酷い行いに対して、正義がなされるかと思いきやなぜか被害者の方が悪者にされる、誰も味方はおらず加害者だけが擁護される。男たちは相も変わらず自分たちを踏みにじり続け、声をあげればうるさいと言われ、黙っていればなかったことにされる。

やれやれ、こんなの日常茶飯事だわ。

わたしはそこで諦めてしまったけど、彼女はそうではない。そんなことは間違っていると、その「空気」に抵抗することにしたわけです。彼女自身が、別の「毒」になることによって。(劇中ブリトニー・スピアーズの「TOXIC」が流れる象徴性たるや!)

 

でも、彼女は「もしかしたら」という希望も抱いていたのかもしれない。

「もしかしたら、この人はほんとうに何もしないかも」「もしかしたら、ほんとうに優しい人なのかも」

でもその期待はことごとく裏切られ続けるし、彼女を犯そうとしなかった男など一人もいなかった。

唯一心を許したライアンでさえ、その空気を吸って生きる人間だったと知ってしまう。いや、むしろその空気を作り出す側の人間だった。そしてそれを悔い改めることもしない。自己保身と言い訳を繰り返す彼を見て、彼女が何を思ったのかは簡単に想像できるはずです。

 

この世には、やっぱり「ジェントルマン」なんていなかった

再び失意のどん底に落とされたキャシーができることは、もはやたった一つしか残されていないのです。

 

 

当事者のいない復讐

この映画を「レイプリベンジ」の文脈で語ることは容易いことだと思います。そしてそれじたいは間違いではありません。しかし、この映画は本来の意味でのレイプリベンジものではありません。このジャンルの多くがそうであるように、反撃の正当性を示すために凄惨な性被害が事前に提示されるものです。リベンジの爽快さを得るためのある種の快感は、実は根っこのところではAVに近いものがあるんですよね。(だからといってこのジャンルを否定はしません)

なのである意味この映画は「アンチ・レイプリベンジ」ものといって差し支えないと思いましす。

 

わたしがこの映画を観て思い浮かべたのはエリオット・ペイジ主演の『ハードキャンディ』と、ゴア描写が話題となった『拷問男』でした。

 

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どちらも被害者本人ではなく(そもそも被害者は死んでいる)、その近しい人物が犯人に復讐するというものです。この当事者の不在に関しては他の方も言っているとおり、わたしも思うところがないわけじゃないです。でも、「当事者じゃないんだからそんな復讐に生きるより楽しく幸せになる道を選べば良かったのに」などと言うことは、泥酔してレイプされた女性に「酒を飲んだりするからだ」と言うくらい無意味なことです。

そして、「当事者」でない人間が行動を起こしてはいけないかというと、決してそうではない。キャシーをレイプの被害者とせずその親友としたことは、むしろ傍観者を気取る我々に対するカウンターパンチだと認識して良いと思います。

我々は、すべての性被害に怒るべきです。被害者が男性であれ女性であれ、そんなものが世の中からなくなるように努力し続けなければならない。傍観は加害にも等しいのです。

 

しかしながら、驚くべきはその復讐の落としどころです。観客は誰もが復讐の完遂(犯人への制裁)を望むわけですが、その総仕上げの段になって、その立場はぐるりと逆転します。

本来の「レイプリベンジ」ものであれば、キャシーがなすべきはずだったことを、犯人側にやらせるのです。

なんたる消化不良!

そして、彼らは言う。

「自分たちは悪くない」と。

なんたる醜悪さ!!

まさにあの瞬間、我々が許容してきたこの空気のまさに「正体」を突きつけるのです。おぞましすぎる。

 

そしてこの「自分は悪くない」はキャシーにも牙を向く言葉だと観客は感じとる。

ちなみにわたしは、彼女は(広義の)自殺だったと考えています。

自分が死ぬことをキャシーは事前にわかっていた(というかそう仕向けた)わけで、あのラストは彼女が望んだ通りの復讐の形だったと思うわけです。

間違ったことを正すために、一人の女性が死を選ぶ。

それを見ても「復讐は何も生まない」と言えるのでしょうか?

むしろ復讐の空しさを教えてくれるのは『拷問男』みたいな映画だと思います。でもこの映画は復讐をリベンジものの文脈で完遂させないことによって、むしろ間違いを正そうとしている。

どうやら当初の段階では彼女が殺されて終わりだったそうなのですが、そこに犯人側が裁きを受けるシークエンスを加えたことはしっかりと筋の通ったことだと感じました。

 

 

ヤングウーマンたちへの約束

と、いろいろと褒めてる感じなのに★が4に届かない微妙な数字なのかと言えば、完全に好みの問題です。わたしは自己犠牲によって思いを遂げるという帰結が、基本的に好きではないんですよ。

それにフィクションの中だけでも、加害クソ野郎は全員死んで欲しいですよねー(過激派)

 

それからね、わたしは、この世にいい人なんていないとは思わないし、世界に完全には失望していない。まだ、世界は変われると、変えられると信じてるから。

わたしはもうすぐ40になるんだけど、30を過ぎた辺りから、これからを生きる若い人たちに、より良い世界を残したいと強く考えるようになったのね。自分が若い頃つらいと思ったものは変えていきたいし、そのためにも沈黙するのはやめようと思った。

若い人たちが幸せに生きてもらうために、わたしたち大人は生きていくべきなんだと思う。

 

わたしたちがキャシーの死から学ぶことは、「復讐は何も生まない」とか「怒りにかられて生きるのは空しい」とかではなく、ましてやアルコールの問題などと矮小化することなどでももちろんなく、もう二度とヤングウーマンのプロミシングを絶対に裏切ってはいけない、ということ。キャシーの生き方ではなく、それを選ばせた「空気」を責めるべきなんですよ。

 

加害者が正当に裁かれ、加害者が「自分は悪くない」などと正当性を主張したりしない。性別を理由に理不尽な扱いを受けることなどなく、誰もが自分の「約束された未来」を生きることができる世界を作ること。

それこそが、この映画がわたしたちに課した「約束」だと思うのです。

声をあげても無駄、なんて映画では、決してないのですよ。

 

 

 

作品情報
  • 監督 エメラルド・フェネル
  • 脚本 エメラルド・フェネル
  • 音楽 アンソニー・ウィリス
  • 製作総指揮 キャリー・マリガン、グレン・バスナー、アリソン・コーエン、ミラン・ポペルカ
  • 製作年 2020年
  • 製作国・地域 イギリス、アメリカ
  • 出演 キャリー・マリガン、ボー・バーナム、アリソン・ブリー、クランシー・ブラウン、ジェニファー・クーリッジ