あらすじ
人間の負の感情を匂いで嗅ぎ分けられる特殊な能力を持つティーナは、その力を活かし税関で働いている。ある時、匂いを嗅ぎとった人物の荷物から児童ポルノのメモリーカードが見つかり、ティーナはその摘発に協力することになる。
同じ頃、不思議な匂いを放つ男ヴォーレと出会ったティーナは今まで感じたことのない衝動にかられる。そしてその男こそ、彼女の出自にまつわる秘密を知る人物だった…
この映画、なんの情報も知らないのにいつも利用している映画アプリで「観たい」にチェックが入ってて、自分でも全然チェックした記憶もなく「あれ?」とか思ってたんですよ。で、後々「ぼくのエリ」の原作者の北欧映画だとわかり、わたしの無意識的映画嗅覚もあながち悪くないじゃないかと思ったり(笑)。
というどうでも良い前置きは置いておいて、先日の即位礼の休日に『ジョーカー』、『スペシャルアクターズ』とともに鑑賞し、結果的に「異質な人たち3本立て」という感じになりました(ほんとは『アップグレード』も入れて4本立てにしたかったけど満席で観れなかった!残念)。
これがまぁなんつーか、
個人的にドンピシャりでございました!!
ルーツ探しと自然美のラブストーリー
簡単に言うと、「自分は普通じゃないのでは?」「自分は何者なのか?」そんな葛藤を抱えた女性が「本当の自分に目覚めていく」お話です。それをダークファンタジー的な設定とマジックリアリズム的な手法を用いて描くことで、シンプルでよくある話ながらジャンルレスで斬新な作品になっていましたね。
そして同原作者の「ぼくのエリ」同様、異質な者同士のラブストーリーでもあります。このラブストーリーの部分も、最終的にはありがちっつーか、映画でも漫画でも手垢つきまくりな流れなのに、たった一つのファンタジーの要素が入ることでこんなにも新しく、美しく切ないものになるなんて!驚きでした。
謎の男ヴォーレとティーナの獣のような交わりも凄まじく、その後の二人の会話によって明かされる本作のテーマに「うぉーそっち系か!!」とテンションぶち上がり(笑)。多分観た人ならわかってくれますよね。
ただ途中まで「これは一体どういう方向の話なんだろう?」というのが見えなくて、退屈っちゃあ退屈かもしれない(隣のおじさんは激寝してた)。
でも、静謐な絵画のような映像を観ているだけでほんと浸れる映画なんですよね…。
ひんやりとした森、闖入者な動物たち、重く暗く美しい自然のロケーションが、目にも耳にも「鼻にも」心地よかったです。苔むした土を裸足で歩く気持ちよさもすごい伝わってきた!あと、地虫も初めて美味しそうと思ったよ(笑)。
『フリーソロ』の時も思ったけど、こういう自然の生々しさって、やっぱりCGじゃ出せないんだよな。
自然と人間、異界と現実、男と女、正義と悪事…さまざまな境界=ボーダーのあわいを飛び越える、北欧ノワール版もののけ姫とも言える作品。
わたしは大好きな映画でした。
以下ネタバレ。初っぱなから核心に迫ることを書いているので気をつけて!
異界と現実のボーダー
醜悪な見た目にコンプレックスを持つティーナ。仕事ぶりは評価されている(でも気味悪がられてる)し、同居するパートナー(ていうかヒモ。絶賛浮気中)もいるけれど、ずっと孤独を抱えている。自分は何にも属していない、そんな心許なさを。
そんなある日出会った不思議な男。どこか自分と似ている。その彼によってもたらされる、衝撃の事実。
なんとティーナは、トロルだったのです!
どっひゃーーー!!なんだってーーーー!??
「トロル」と聞いて、カラフルな頭の人形、ムーミントロール、2010年のノルウェー映画『トロール・ハンター』やアニメ『トロール』、イサーク・エスバンの短編『ささいなもの』のアレもトロルだったっけ…。まぁいろいろありますがわたしが真っ先に頭に浮かんだのは、子どもの頃から読んでる北欧民話の絵本「三びきのやぎのがらがらどん」ですね。
- 作者: マーシャ・ブラウン,せたていじ
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 1965/07/01
- メディア: 大型本
- 購入: 6人 クリック: 162回
- この商品を含むブログ (156件) を見る
日本人にはなじみがないと思われるかもしれないけど、トトロだってトロルだし、ある種の妖怪や神さまだって、キリスト教的概念よりもトロルに近いと思います。土着信仰的な産物だと思うんですよね。
その「トロル」があっさりと、ごく自然にリアリズムの作品に入り込んでくることに少なからず興奮しました。
この、異界と現実の境界(ボーダー)の曖昧さ、リアリズムにすんなりと入り込むファンタジーが実に快感です。
ヴォーレに「君はトロルだ」と言われたティーナは葛藤もなくすんなりとそれを受け入れる。(まぁその前に自分の股から男性器が出現したことを受け入れてますけど)
「わたしは普通じゃない」「出来損ないなの」と言うティーナに、ヴォーレは「普通じゃないのは特別だからだ」「君は完璧だ」と答える。
それはそうだ。ティーナは人間ではないのだから。人間の常識てはなくトロルの視点で考えてみれば、何もかもが正しい。
はじめて愛すること愛されることを知ったティーナは強く、たくましい。見ているこちらの感覚も変わっていくんですね。この発想の逆転はほんと心地よいです。
自然のままにヴォーレと愛を交わすティーナ。二人の愛の交歓ほど生々しく、そして美しいラブシーンをわたしは知りません。
今も続く差別と迫害の歴史
あと本作のトロルには、北欧周辺の少数民族「サーミ人」のモチーフも含まれているんじゃないかと思いましたね。2016年のスウェーデン映画『サーミの血』で鼻を計測するシーンがあり、それがすごく印象的だったんですが、本作のティーナとヴォーレも特殊メイクでやたらと鼻を誇張されてますよね。
また自然に回帰していく姿や大きな角のヘラジカ(エルク=アメリカ大陸でいうムース、スウェーデンでは森の王と呼ばれてる)と動物たち、「フィンランドで放浪の旅をしている」という話からも、狩猟とトナカイの遊牧をして暮らす、サーミの生活様式を彷彿とさせます。
彼らは長い歴史の中で、北欧諸国の思惑に巻き込まれ、時に同化され、分離され、差別、冷遇を受け続けてきており、作中のトロルの扱いにも通じるものがあります。
もちろん、この「トロル」のモチーフはサーミだけではなく、ロマやネイティブアメリカン、ユダヤ人など人間が絶えず繰り返してきた迫害の歴史そのものとも言えるでしょう。
そしてそれは言うまでもなく、現在の移民問題にも繋がっていきます。
ヴォーレ含め多くのトロルがフィンランドにいることも、トロル観の違い、自然との距離だけでなく、サーミとの関わりや移民政策などを考えると興味深いものがあります。
かといってパンフレットで「人種問題に関する議論に興味はない」と公言しているアリ・アッバシ監督の言葉通り、決して移民問題や人種差別をテーマにしている映画ではありません。むしろそれを越えた「個」を描いている作品だと感じました。
ちなみにアリ監督はイラン系デンマーク人。スウェーデンにも移住経験があり、さまざまな環境の中できっと自分の「アイデンティティ」を意識してきたのではないでしょうか。
そしてその意識がそのまま作品にも表れているように思います。
ボーダーを守る者
やがて、児童ポルノ(『セルビアン・フィルム』的なのを想像して吐きそうになった)の共犯が実は他ならぬヴォーレであったことを知ったティーナ。
彼はトロル迫害の復讐の一環として、自分が産んだ未受精卵と人間の赤ん坊を「取り換え子(チェンジリング)」(この設定をスムーズに入れてくるとか、ほんと素晴らしいなこの映画!)して、さらった子を児童ポルノのブローカーに売っていたと言うのです!
彼女もその醜さから酷い扱いを受けたこともあったし、父親から自分の本当の両親のこと、本当の名前が「エーヴァ」であることを知らされ怒りに震えました。だからトロルであるヴォーレの心情を理解することはできる。
でもやはり、彼のしたことを許すことはできない。
それに彼の側についてしまったら、彼女が今までしてきたことも全て否定することにもなってしまう。
彼女は人間の闇の部分も知っているけれど、善の部分も知っているからどちらの側にもつけないんですよね。
彼女はヴォーレをフィンランド行きの夜行船の上で警察に引き渡そうとしますが、「大きいやぎのがらがらどん」に谷底に落とされたトロルよろしく、ヴォーレは暗い海に落ちていく。
同じ種族であっても、どんなに愛していても、その意識を共有することはできないという悲しみ。
いや、そうじゃない。
同じようで違う、似ているけれど別々。それが「生きている」ということだし、それこそが「アイデンティティ」だと思うのです。
彼女は最終的に、森の守り人として生きることを選ぶ。国と国のボーダー、種族と種族のボーダー。その垣根の番人として。
そのそばには愛しい人と自分の愛の証がいる…。その子にコオロギを与えながら、彼女は微笑む。ルーツ探しはもう終わりだ。
ティーナは人間界に生きる、トロルの「エーヴァ」=イヴとなったのだ。
作品情報
- 監督 アリ・アッバシ
- 原作 ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト
- 脚本 アリ・アッバシ、イサベラ・エクルーフ、ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト
- 音楽 クリストファー・ベリ、マーティン・ディルコフ
- 製作年 2018年
- 製作国・地域 スウェーデン、デンマーク
- 原題 GRANS/BORDER
- 出演 エヴァ・メランデル、エーロ・ミロノフ、ステーン・リュングレン、ヨルゲン・トゥーソン、アン・ペトレン