あらすじ
異星人の襲撃により、壊滅した我が家を後にしたアボット一家。なんとか落ち着けそうな廃墟を見つけるが、そこには異星人襲来に備えた罠が仕掛けられており、そのせいで弟のマーカス(ノア・ジュープ)が大ケガを負ってしまう。
廃墟に暮らしていたのは、かつてのご近所のエメット(キリアン・マーフィー)だった。妻子を喪い誰も信用できなくなった彼は一家に「俺には助けられない。明日には出ていってくれ」と告げる。
その夜、ラジオから「ビヨンド・ザ・シー」の曲が流れていることに気付いた姉のリーガン(ミリセント・シモンズ)は、島にある放送局から補聴器のハウリングを流せば異星人を撃退できるのでは、と考え、母(エミリー・ブラント)に内緒で単身海岸へ向かう。しかし周囲には複数の異星人が潜んでおり……
大ヒットを記録した『クワイエット・プレイス』の続編。わたしは前作が大大大好きでしてね。
感想はこちら。
設定に関していろいろと突っ込みたくなる人がいるのもまぁわからなくもないんだけど、それよりも作品に込められたメッセージがわたしにはものすごく刺さりまくって、その年のベストテンにも入れたくらい好きな映画だったんですよね。
というわけでそんな映画の続編。前評判も高く「前作よりいい」なんて声も聞こえてきておりましたが……
とても、面白かったですよ!
ただ、わたしにはテーマ性とかメッセージ的には前作の方が共感できる部分が多かったかな、と。あと、ハイライト的な見所も前作の方が多かったように思います(まぁハイライトつーか出産シーンですけど)
前作が「このクソみたいな世界に子どもを産む意義って何よ?」みたいな話だったわけですが、今回は、
「このクソみたいな世界で子どもが生きていく意義って何よ?」
というお話なんですね。
なので一家の姉弟がそれぞれに活躍するシーンが多く、彼らの頑張りと成長に終始うるうるしちゃってました(そもそも1日目で父ちゃんと末の弟くんが出てくるだけで嗚咽)。
もともとテーマがしっかりしているシリーズなので、展開次第ではいくらでも発展可能だと思いますね。
クラシンスキー監督としてはもしかしたら、パート3の構想もあるのかもしれません。
以下ちょいネタバレ~
子どもたちに残せるものは
前作も今回も、実は根底にあるテーマは同じです。
簡単に言っちゃえば、大人が子どもたちに残せるものは何か、ということです。
「クリーチャーが跋扈する世界」が現実世界の暗喩であることは誰もがお分かりになるところだと思いますが(そして言いたいことも言えない=沈黙のポイズン案件)、そんな過酷な世界で子どものために何ができるのか、何をすべきなのか、というのがこのシリーズの肝となります。
基本的に、現実はクソです。
国もクソだし政治もクソ、仕事もクソでお金もクソ、そもそも人間がクソなので生きていくことじたいがもうクソクソのクソ案件なのです。
じゃあそんな世界で何をもって生きるのよ?と。
途中、一家の対比として、海辺でエメットとリーガンを捕らえようとする一味が登場します。
乱暴に言うと、彼らはこのクソクソ現実に足を掬われ、ひたすらクソの上塗りをしながら生きることを選んだ人たちです。過剰に露悪的に描かれているのもそのため。彼らは露悪的な人間なんです。
彼らは小さな子どもに囮をさせていましたが、あの子の様子からおそらくひどい扱いを受けていただろうことは想像できます。
大人が勝手に悪を行うのは止められない。でも、子どもに悪行の片棒を担がせるのは天命に背く行為だとわたしは思います。子どもは大人の道具ではないのです。
一方のリーガンは、亡き父親の高潔な魂を受け継ぎ、自分のできる「最善」を行おうとする。
これは、アボット夫妻がこれまで姉弟たちに教えてきたことの賜物でしょう。
子どもたちを守り、善き道へ導くこと。それこそがわたしたち大人が子どもたちに残すことのできる、唯一にして最大の贈り物だと思うのです。
リーガンの影響によって、クソ一歩手前だったエメットが善き人たろうと奮闘する姿も熱いものがありましたね。「ダイブ」の手話、覚えました。
子どもだけど、子どもじゃないの
とはいえ、必ずしも親の思惑通りに行くはずもない。
「ここで待っててね」で待ってられた試しがないのと同じように(笑)。
時には思いもよらないような行動に出て、親を驚かせたりもします。
私事で恐縮ですが、我が家の長男は今年小3になりましてね、今月誕生日を迎えました。
自分もそうだったけどさ、もう9歳にもなると、親の言うことなんてほぼほぼ聞かない(笑)。それに家族といるより友だちといる方が楽しいみたいで、土日も遊びに出かけるようになってきて。わたしにはもう入っていけない場所に行ってしまった感があって、「あぁ、これが親離れってやつかぁ」なんてしんみりしたりしちゃったりもしてね……。
そろそろ彼の力を信じて、見守る必要があるのかなーと思いはじめたところだったんですよ。
だからね、マーカスがクリーチャーに立ち向かっていくシーンはほんと、号泣ものだった。
まだ守られるべき子どもだと思ってたのに、もう違うのかも。
そもそも、ずっと救われていたのは、わたしの方だったのかも。
クソ世界から子どもたちを守るために戦ってきたつもりでいたけど、ずっとずっと支えてきてくれてたんじゃん、ってね。
とにかくね、今回の作品からは、
「この世界を、強く、正しく、生き抜いて欲しい」
という、監督の切実な思いを感じましたね。
ていうか前作も今回も、ガワはクリーチャーホラーでパニックして、なんかわちゃわちゃしてるけど、実はかなり私的な思いで作られている作品だと思うんですよね。
とはいえもしかしたら、こんな風に大人側の希望を押し付けられるのは、子どもたちにとってはたまったもんじゃないかもしれません。
でも、親の理想はこうだよ、と見せるのも決して悪いことではないんじゃないかなーと思うんですよね。
もし3作目が作られるとしたら、今度は姉弟の巣立ちがテーマとなることでしょう。
危険で過酷でクソまみれな世界に旅立っていく子どもたちと、それを送り出す母親……。きっとわたしにもそんな日が来るんだろうな。
生き抜け、子どもたち。
クソみたいな世界を、ノイズだらけで、言いたいことも言わせてもらえないのに、口を塞ごうとする人々がいる、そんな世の中を。
それでも君たちならできるって信じてるし、きっと善き道へ進んでくれるよね。
だけどもう少しだけ、君たちを守らせてね。
まだもう少し君たちの「お母ちゃん」でいたいんだ。
『クワイエットプレイス破られた沈黙』
— ナオミント (@minmin70) 2021年6月22日
魔物が跋扈し悪意が蔓延るこの世界でわたしたち大人がすべきことは、子どもたちを守ることだ
でも、本当に救われていたのはわたしの方だったのかも
生き抜け、子どもたち
狂った世界を、ノイズだらけの世の中を
君たちだけが、わたしの未来。
わたしの、希望だ。 pic.twitter.com/LGRDOdVpHS
追記:これ書き上げたあとに監督のインタビューの記事が目に留まりました。「クワイエット・プレイス」:続編を断固拒否した監督が考えを変えたワケ(猿渡由紀) - 個人 - Yahoo!ニュース
一作目のことを「僕にとって、あれは娘たちへのラブレターだったんだ。」と言ってて、やっぱりそうなんだなぁ、と思った。
作品情報
- 監督 ジョン・クラシンスキー
- 脚本 ジョン・クラシンスキー
- 音楽 マルコ・ベルトラミ
- 製作総指揮 アリソン・シーガー、ジョアン・ペリターノ、アーロン・ジャナス
- 製作年 2020年
- 製作国・地域 アメリカ
- 出演 エミリー・ブラント、キリアン・マーフィ、ミリセント・シモンズ、ノア・ジュープ、ジャイモン・フンスー