あらすじ
大学生の拓人は就活の年をむかえ、準備に余念がない。拓人のルームメイトの光太郎、光太郎の元カノで拓人の思い人でもある瑞月、瑞月の友人・理香、その恋人の隆良もそれぞれに就職活動へ向けて動き出す。彼らはさまざまな胸の内をツイッターに吐き出しながら「就活」を続けていくが…。
朝井リョウの直木賞受賞作の映画化。ですがわたしは原作未読で観賞しました。
読んでいないのでなんとも言えませんが、おそらく映画はうまくまとまっていたのではないでしょうか。原作知らないわたしでも十分理解できたし、少なくとも消化不良などに陥ることは全くなかったです。なので多分、よほどのことがない限り読まないと思います(オイっ!)。
おそらく文章では表現できないであろう演出を映画ではしていて、うまいなーと唸らされました。とくに終盤の展開はかなりエモくて、ラスト10分はすごく面白かった。 ただ、前半、というか全体の3分の2ははっきり言って、わたしには合わなかったです。
役者陣に学生らしさが感じられず、これはリアリティ無視のフィクションなんだな、とかなり冷めた目で見てしまいました。
そもそもなんだ学生のくせしてあの部屋は。誰が家賃払ってるんだ?親から仕送りもらってるのか?なのに宅飲みで黒ラベル飲むのか?イマドキの都会の若者はあんな感じなのか?わたしが知ってる大学生は、とっ散らかったヘボい六畳間で、発泡酒に菓子の類をつまみにしてたぞ。もうこんな感覚は古いのですかねぇ…。つうか学生の時にタクシーなんか乗ったことねぇよ。それからなんだあのバイト先は。オサレカフェか。白木屋ではいヨロコンデー!じゃダメなのか!…うーむ、もうこの辺でやめておこう(笑)。
そして、みんなして就職=一般企業に偏りすぎていたのも気になりました。1人くらい、実家に帰って家業継ぐんだ…とか、公務員試験受けようと思ってて…、とか言う子がいても良かったのにね。
とは言え、わたし自身が学生時代に就活らしい就活をほとんどしていなかったので、その辺りの経験値によっても合う合わないはあるかもしれないですね。
ただ、描かれているのはモラトリアムの終わりの焦燥感と自己顕示欲や承認欲求など若者特有のエゴイズムです。そういう意味でも根底にあるテーマは普遍的なものだと思いました。
現在就活真っ只中の人、過去に就活を頑張っていた人、これから就活を始める人はとても興味深く観られるのではないでしょうか。
あと、出演者にはそれぞれ見せ場があるので、ファンの方は楽しめると思います(等身大の大学生とは言えないけれど)。個人的には有村架純と佐藤健が好演しているなと感じました。あと、菅田将暉くんの歌。ヘタウマな雰囲気がいかにも学生バンドという感じ。
それから、中毒性のある中田ヤスタカの主題歌も、入り方も含めてよかったです。
とにかく最後は
就活生頑張れ!社会人頑張れ!若者頑張れ!
と思える映画でした。
以下ネタバレあり。
夢を終わらせるのは自分
主人公の拓人は演劇サークルに所属し、稽古に勤しみ脚本を担当するなどかなり本腰を入れて活動していたことが伺えます。彼は友人の烏丸と共に劇団の主要メンバーだった。けれども、烏丸はサークルも大学も辞め、自身の劇団を立ち上げる。拓人はそれを複雑な思いで見つめながら悶々とした日々を送るしかない。
この烏丸という人物、物語上重要なポジションにいながら声も顔も、映画内でははっきりと描かれない。この人物造形はこれまた朝井リョウさん原作(こっちも映画しか観てないのですが)の「桐島、部活やめるってよ」の桐島くんのようですね。桐島は「夢」からのドロップアウターといった雰囲気がありましたが、今作の烏丸くんは「夢」そのもののアイコンとして存在していると感じました。
彼の演劇を要所要所で挟んでくる演出も、映画に動きが出てよかったです(最後にそれが拓人が実際に見ていたものだったとわかるのもじーんときました)。
拓人は演劇を「学生の趣味みたいなもの」、「学生演劇なんてやっていた奴はゴマンといる」、「職業にする気はない」と強がっていますが、演劇に対して未練タラタラなのが傍目にもわかります。
彼が演劇を辞めたのは自分に見切りをつけたから。本当は大好きなのに、いろんな理由をつけて「無理」だと諦めたからなんですよね。だからこそその「好き」を貫き通す烏丸を「すごい」「羨ましい」と素直に言えない。本心ではそう感じてはいても。
夢は諦めた、でも演劇は好き。そう言えることが出来ていれば、拓人が迷走することはなかったのかもしれない。
本音を口にできるかできないか
反対に、5人の中でいの一番に「内定」が出た瑞月は、他人への賞賛を屈託無く口にできる人です。的確に自己評価できる分、他者をきちんと認められる。それは自分の身の丈と現実に目を向けられるということでもある。瑞月はもともと、「夢」や「こうなりたい」という欲求が希薄な子だったのだろうと思います(それがいいか悪いかはまた別の話)。自分の持っているカードは少ないけれど、その中から最良のものを選び出すことのできる子。エースをキングだと偽るような拓人とは大きな違いです。自分は何も持たないと自覚している瑞月は、挑戦もせずに「自分に就職は向いていない」などと嘯く隆良が許せない。「(結果が出てくるまでの)過程なんて誰も見てくれない、わたしたちはもうその段階まできている」…もしかしたら5人の中で一番大人だったのかも。
理香と隆良は表面上はリア充な恋人同士。けれどその実、互いの本音を明かすことはせずに見栄を張ったままの付き合いをやめられません。けれど、一向に内定の出ない理香は拓人に、「(就活を)頑張ってるのに、どうしていいかわからない」と本音を吐露し、隆良も「ちゃんと就活しようと思う」と宣言。2人の今後が映画内で語られることはありませんが、おそらくそれまでの虚栄心を捨てて向き合えるようになったのではないでしょうか。
さて、わたしは一番闇が深そうだなと思ったのは光太郎です。
彼は明るく人当たりもよく、おそらく面接官の懐に入るのもうまかったことでしょう。瑞月の次に、希望していた出版社から内定をもらい、「内定出されて自分を丸ごと肯定された気がする」と言いつつも、「自分はただ就活がうまかっただけなのかも」と空虚な表情で語ります。拓人と語るこのシーンでは、光太郎の顔に赤色灯が当たってなんとも不気味で、そこには不穏な空気が漂っていました。頑なに出版社を志望していた理由を「昔好きだった子に会いたいから」と言っていましたが、これが本心かどうかを確かめる術はありません。結局、彼自身の口から本音らしい本音は語られることのなかったように思えます。鬱屈したものを抱えながら、顔では笑い続けるのかと思うと…一番危ない存在だと思いません?
「何者」は決して本音ではない
終盤、理香によって拓人の裏アカウント「何者」の存在が明かされますが、こちらとしては普段の拓人の影のある様子から、彼がそのような行動を取っていたことは推察できるので、そこに驚きはありません。
けれど、裏アカウントでつぶやいていた場面を演劇で再演する手法は斬新で、現実の部屋や学校が徐々に舞台装置へと切り替わっていく様は鳥肌が立ちましたね。その辺りは演劇畑出身の三浦大輔監督の腕の見せ所と言ったところなのでしょうか。とても面白かったです。一瞬全部現実じゃなかったってオチかな?と思ったのですがね(だからあんなに非現実的な学生描写だったのか!と納得したのだけれどもね)。
壇上で拍手喝采を浴びる拓人が観客の中に瑞月の姿を認めると、拓人は居た堪れない様子で舞台を降り、走りだします。
この「舞台」は「何者」のアカウントの可視化である(観客はフォロワーやネットで彼のつぶやきを見ている他者なのでしょう)と同時に、拓人が「何者」を演じていたということの表れでもあると感じました。その舞台から降りる=虚勢を張る自分を捨てる、ということなのかなと。
現実に戻った拓人は瑞月と相対します。彼女の手に握られたスマホには「何者」のツイッターが表示されている…。けれど、瑞月は拓人に「拓人くんの作る演劇が好きだった。とっても面白かったから」と言うのです。
その言葉に泣き崩れる拓人。
そう、彼に必要だったのは企業からの内定でも、SNSのいいねでもない。たった1人からの肯定だった。
このシーンを観て、わたしは「あぁ、こういう話だったのかぁ」と思い、目頭が熱くなりましたね。誰かから認めてもらうこと、「あなたのしてきたことは正しい」と言ってもらえること。それこそ本当に大事なことなのです。
この瑞月の言葉で何かが吹っ切れたのか、面接で「1分間で自分を表現してください」と言われた拓人は、ぽつりぽつりと自分と烏丸の関係について語り始めます。それは「何者」にもつぶやかれることはなかった、拓人の本心でした。
けれどその話はたどたどしく、面接官は時間を気にして戸惑っている。「1分間では表現できません」と拓人は言い、会場を後にします。
そこからエンディングまで、画面に映し出されるのは拓人の背中だけで、彼の表情をうかがい知ることはできません。でもきっと、彼はいい顔をしているはず。
扉を開け放ち、外へ、現実社会へと出ていく拓人の背中に、わたしは小さな声で「頑張れ」とつぶやきました。
きっと、大丈夫。