あらすじ
コメディアンを夢見るアーサーは客引きピエロの仕事をしながら、都会の片隅で母と貧しい二人暮らしをしていた。しかし、脳の損傷が原因で突如笑い出してしまう持病を抱えており、世間からの風当たりは厳しい。またある失態から仕事もクビになってしまう。
その帰りの地下鉄で3人のサラリーマンに絡まれたアーサーは衝動的に彼らを撃ち殺してしまう。しかしアーサーはこれまで感じたことのない解放感に陶酔する…。
やがて母の過去、憧れていたコメディアンの仕打ち、自身の本当の病に向き合ったアーサーは「ジョーカー」として生まれ変わる…
もうすでにいろんな方の感想や考察が出ていますので、今回は簡単に。
すごい映画なのはすごい映画だと思います。
高評価なのも納得で、映画好きであればあるほど楽しめるんだろうな、というのもぼんやりと理解できました。
事前に観ておくといいと言われていた『キング・オブ・コメディ』や『タクシードライバー』、ティム・バートン版ノーラン版のバットマンシリーズの要素は確かにありました。
あと『容疑者ホアキン・フェニックス』を観ておいたので、メタ的にも楽しめたと思います。
(アーサーがコメディアンじゃなくてラッパーを目指していたら…という映画です。違)
でも、心から面白いと思えなかったのは多分、わたしの映画リテラシーが低すぎるんだろうな…。てかぶっちゃけ『タクシードライバー』もいまいちハマらなかった人間だし。
とはいえ、興味深い構成の映画だと思いましたね。創作に携わる人はいろんな気づきがあると思いました。
ただ、社会派的な側面、というのはわかるようでよくわからなくて、これを『万引き家族』と同列に語るのはちょっっと無理があるかなぁ、と思ったり思わなかったり…。それはわたしが冷たい人間だからかもしれないけど。
というか、苦境から犯罪者になった男の話というよりは、ヒーローになりたかった男の話、だとわたしは感じたんですよね。そこはほんとつらいし切なかったですよ…。『スペシャルアクターズ』みたいに、アーサーにも弟がいてくれたらなぁ…。
とかいろいろ見当違いなこと書くと各方面から火炎瓶が飛んできそうなので、ピエロのお面を被って逃げます!(^_^;)))ササッ
以下ネタバレ。
作者の数だけヴィラン(ヒーロー)がいる
個人的な解釈ですが、全ては最後、精神病院にいるジョーカー(ホアキン・フェニックス)が「作り上げた物語」だとわたしは思っています。
最後、白い部屋で両親が殺された幼いブルース・ウェインを思い描き「面白いジョークを思いついた」と言って笑うでしょ。彼はあの瞬間にバットマンの誕生を創造(想像)したわけですよね。
あのシーンだけはおそらく現実です。
あれを「思いついた」と言うってことは、もしかしたらこの映画の世界線にはティム・バートン版バットマンもダークナイトトリロジーも存在しないのかもしれない。
つまり彼は「こんな風にしてヒーローと悪役が誕生したんだとしたら、面白くない?(笑)」と話していたに過ぎない。バットマンもジョーカーもゴッサムシティも、彼の頭の中にあるんです。この発想には驚かされましたね。
見終わったあと真っ先に思い付いたのは『ユージュアル・サスペクツ』でしたね。
ラストに歩きながら正体がわかっていく点でも近いものがあります。
そう考えると、同じアパートに住む女性の家に鍵がかかっていないのも、SNS時代的なノリでアーサーがTV出演できるのも、他さまざまなストーリー上の瑕疵も説明がつきますし、架空なのか現実なのか曖昧な世界観なのも理解できます。
タイトルにも付けた通り、この映画じたいがジョーカーを用いたバットマンの「二次創作」であると同時に、作中劇としても「二次創作」が行われているという入れ子構造になっているんですよね。
「ジョーカー(ヒーロー)になりたかった男」アーサーの物語をして、感情移入させ涙を誘った後に「全部ジョークだよ~ん!」とネタばらしする。それこそジョーカーの最大のジョーク=二次創作としてふさわしいのかもしれない。
でもよくよく考えてみたらアメコミ作品じたいが二次創作的な側面をもった表現方法じゃないですか。いろんな作者がそれぞれにヒーローの解釈をして物語を作り上げる。
それをいったら仮面ライダーだってゴジラだって二次創作的だし、いやそもそも映画じたい、創作物じたいが「ヒーロー」や「悪役」や「ヒロイン」を使った二次創作なんだとも言えなくもない。
だからこの映画の「ジョーカー」の創造の仕方は正しいのだろうと思います。「こんなのジョーカーじゃない!」と言われる点も含めて(笑)。
でも今後のバットマン映画にホアキン・フェニックス=アーサーは登場しないとはっきり明言されているわけですから、彼はジョーカーだけど「ジョーカー」ではないんですよね。…なんかうまく言えないけど。
わたしたちは、すました顔の上流階級どもを嫌い、底辺からのしあがる人間の「物語」が大好きだ。ヒーローを求めると同時に、凶悪で醜い悪役を強く求めてしまう。
でも、そんな「物語」も全て「二次創作=ジョークなんだよ」という皮肉が込められている作品なんだと思いました。
そういう意味では「悪役(ヒーロー)を求める僕たち」を写す鏡のような映画であり、「誰でも(頭のなかでは)ジョーカーになれる」映画なのかもしれません。
アーサーの「障害」?
だからこそ気になったのが、アーサーの「障害」の部分。彼は幼い頃母親とその恋人からの虐待により脳に損傷を受け、「情動調節障害」に陥ったという設定です。
このことに苦言を呈して「脳に障害のある人の偏見を助長させる」とか優等生みたいな発言をするつもりは全くなく、そうじゃなくて「ジョーカー」というキャラクターを創作する過程で、彼の衝動を精神的要因ではなく、脳障害という身体的な障害にしてしまったのはどうなのかなぁ、と思ったんですよね…。
バットマンに関しては完全ににわかですけど、ジョーカーが「身体障害者」というのは果たしていいのかなぁ、とは思いました。
それと直接の関係はないけど、「アーカム精神病院」の描き方も気にはなったよね。一応バットマン的には「アーカムアサイラム」って広義の刑務所じゃないですか。エレベーターで同乗した担架に乗せられた人や椅子に座っていた人の描き方もどうなのかなぁ、と…。
…でもそれもこれも、「全て二次創作という最大のジョークだ!」ってことで逃げ切れる映画ではあるんだけどね。
…でもそれってずるくない?(笑)
と、まぁいろいろ書きましたけど、しょせんレゴバットマンを観るまで「Mr.フリーズの逆襲」しか観てなかった人間の戯れごとなんで、全部無視してもらって結構です!!
アーハッハッハッハ!!!
最後に
冗談半分に言われてたけど、意外にほんと『ムカデ人間2』な映画でもありましたね。
オチの構成はもちろん、最終的な母親との関係もそうだしね。
それから、会社をクビになり公的支援を止められたおっさんがテレビに出演して自殺しようとする…という映画を最近観ましてね。そのあらすじ、ほぼ『ジョーカー』じゃん(笑)
どんずまりに陥ったら、わたしは多分こっちの方向に行くんじゃないかなと思います。
「アーサーは自分だ」と思える人たちはみんな強くて、優しいよね。わたしなんてもうへたれで安直だから絶体自分が楽な方に流されちゃいそうだもん…。
自分は全然ジョーカーになれる器じゃないってことがよくわかりました。
わたしはMrs.フリーズを目指します。
作品情報
- 監督 トッド・フィリップス
- 脚本 トッド・フィリップス、スコット・シルヴァー
- 製作総指揮 マイケル・E・ウスラン、ウォルター・ハマダ、アーロン・L・ギルバート、ジョセフ・ガーナー、リチャード・バラッタ、ブルース・バーマン
- 音楽 ヒルドゥル・グーナドッティル
- 製作年 2019年
- 製作国・地域 アメリカ
- 出演 ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイ、マーク・マロン