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テリー・ギリアムのドン・キホーテ【映画・ネタバレ感想】物語は死なない★★★★★(5.0)

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あらすじ

売れっ子CM監督のトビー(アダム・ドライバー)は、クライアントの意向やスポンサー契約と利権や金の絡んだ今の仕事に情熱を見出だせずにいる。そんなある日、新CMの撮影で訪れたスペインで、謎の男から自身が卒業製作で監督した映画のDVDを渡される。

地元の村人を出演させたその映画ー「ドン・キホーテを殺した男」は賞を獲り、彼を映像製作の道へと導いてくれた作品だった。

それを見てかつてのことを懐かしく思い出したトビーは、10年振りに撮影地の村へ足を運ぶ。

しかし、ヒロインを演じたアンジェリカは女優を目指して村を出、彼女の父親は意気消沈しており、主人公のドン・キホーテを演じた靴職人ハビエル(ジョナサン・プライス)は自身をドン・キホーテと思い込み、村人からは狂人扱いされていた。やがて騒動に巻き込まれ警察から逃げ出したトビーはハビエル=ドン・キホーテから従者のサンチョ・パンサと間違えられ、奇想天外な旅に出ることになってしまう…

 

 

わたしとギリアム

テリー・ギリアムの映画を最初に観たのは『12モンキーズ』。面白さ云々は別にして(ブラピの怪演も別にして)、皮肉めいたラストと地に足がついてない作品の雰囲気がどうにも心に引っかかってしまって、監督の過去作を追って行こうと思いました。

『未来世紀ブラジル』はまぁそうでもなかったんだけど、『バンデットQ』を観てものすごいパンチを食らってしまったんですよね。あのラスト(カット版ではなくオリジナルの方)は、個人的にはケヴィン少年の内なる願望だと感じてて、まだ10代だったわたしは絶望と希望が一気に押し寄せてきたような衝撃を受けました。

もちろん、気持ち悪さと汚さが絶妙に融合した美意識と、支離滅裂なのに筋の通ったギリアム節にもすっかり虜になってしまいました。

テリー・ギリアムは、わたしの好きな映画の傾向を決定付けたとも言える大好きな監督の一人なんです。

 

なので、このドン・キホーテ企画はずっと追っていて、『ロスト・イン・ラ・マンチャ』の後もジョニー・デップが降板したとか、ユアン・マクレガーがキャスティングされたとか、脚本が書き直されたとか撮影がはじまったとかニュースになるたびに一喜一憂したりしていたんですよね。

そうしたら昨年、カンヌでお披露目されるというニュースが飛び込んできて(その後権利関係でゴタゴタしてると聞いて「さすがギリアムだなぁ」なんて逆に楽しくなっちゃったりして笑)、嬉しい反面、半ば「本当に観られるの?夢じゃないの?」なんてちょっと信じられない気持ちになったり、公開されたらギリアムが死ぬんじゃね?とか、呪われた企画だけに良からぬ不安にかられたりしていたわけですよ。

おそらく多くのギリアムファンがそうであったように、心のどこかで「完成しなくてもいい」という気持ちもあったんですよね…。

 

とまぁ、そんな戦々恐々とした気持ちで観てきたわけですが…。結論から言うと、

 

めちゃくちゃ最高でした!!!!

 

やっぱりギリアムの映画がわたしは大好きだと思ったし、わたしもね、「ドン・キホーテ」にならなきゃいけないな!と思いましたよ。

 

 

物語を信じるということ

ギリアム作品で描かれているのは、いつも「物語を信じるものと信じないものの対決」なんですよね。

 

単独初監督の『ジャバーウォッキー』から、空想を具現化するホラ話『バロン』、夢に逃げ込むことで現実から解き放たれる『未来世紀ブラジル』(『ゼロの未来』もそう)、人を変える物語の美しさを描いた『フィッシャー・キング』、イマジネーションを具現化する危険ギリアムドラッグ『ラスベガスをやっつけろ』、物語の世界が現実に打ち勝つ『ブラザーズ・グリム』、物語を生きる少女の強さを描いた『ローズ・イン・タイドランド』、物語と物語の対立『Dr.パルナサスの鏡』…

ここで言う物語とは、夢とか妄想とか想像とかファンタジーとか、そういったものと同義です。現実に抗う術として、あるいは自身の尊厳を守る手段としてギリアム映画の「物語」は存在しているんですよね。

 

そして、その「物語」の住人に観客と同じ視点の現実の人間が引き寄せられ、その世界を体験していく。最初は滑稽でしかなかった彼らが「本当は正しかったこと」を知る。まさに「ドン・キホーテ」の類型です。形を変えてギリアムは「ドン・キホーテ」をずっと作り続けていたんですよね。

 

それが本作で結実したことに、やはりいちファンとして興奮を覚えます。そして、監督は夢が叶ったからといって、これで終わりにする気はさらさらないんだなっていうのもわかって、とても嬉しかったです。

本作が、「物語は永遠に続く」「これからも物語を信じて生きていく」という監督の意見表明でもあると感じたからです。

 

 

呪われた企画から祝福された映画へ

映画を観て思ったのは、「これは今作られるべくして作られた映画だな」ということ。

世界中で格差が広がり強きが弱きを踏みにじり、夢や希望が失われていく中で、今ほど物語の力が信じられなくなっている時代はないかもしれません。

誰もが自分のことに精一杯で、他人の物語に耳を貸すことも、自分の物語を語って聞かせることもない。大人が子どもに言うように「現実を見ろ」「大人になれ」を繰り返し、夢や理想を語る人を「お花畑」と言って揶揄する…。

そんな現実に真っ向から「NO」を突き付けているのが、この作品なのですよ。

そこにわたしはものすごく感動したし、このテーマがしっかりと時代とリンクしているのも奇跡としか言いようがないですよね。

 

確かにお話としては結構めちゃくちゃで、ところどころ繋がりがわからないし、寝てみる夢のように支離滅裂です。

でもね、創作者のイマジネーションに理論なんて必要ないわけですよ。

「脚本が破綻してる」「整合性が取れない」などとしたり顔で言ってる奴らの愚にもつかない話なんかより、作り手の「物語」の方が何百倍も価値がある。

わたしはそう信じてるし、きっとこの映画はそういう人たちのための映画なんだと思います。

 

それから、紆余曲折あったキャスティングもピタリとハマってて、この役を引き寄せたアダム・ドライバーはやはり持ってる俳優ですね。今回も善悪ならぬ「夢と現実」の間で揺れ動く役回り。正統派ヒーローではないこういったキャラが本当にサマになりますね。

巡りめぐってドン・キホーテ=老人ハビエルを『未来世紀ブラジル』の主人公サムだったジョナサン・プライスが演じたことにも運命的なものを感じます。

イメージ通りなステラン・スカルスガルド、妖艶な魅力を振り撒くオリガ・キュリレンコなど、結果として最善の布陣が揃ったという印象。

 

撮影に関しても、今回がギリアム初のデジタル撮影となったそうで、いろんな面で新しい試みにもチャレンジしています。ただ、過去の作品の色んな部分が本作の助けになったのだろうということは、随所に感じられるところです。

広大な荒野でのロケ撮影は『ローズイン~』の要素も含まれているでしょうし、『ゼロの未来』で垣間見えた広告や消費への批判もある。『ラスベガスをやっつけろ』『ブラザーズグリム』的なちょっとキッチュなCGの使い方も好感が持てますね。

『ロスト・イン・ラ・マンチャ』の呪いを笑いに変えるジョークもあり、20年前にはきっとできなかったであろう、全てが収まるべきところに収まった、と思える作品でした。

撮影中は天候にも恵まれて、撮影のニコラ・ペコリーニは「神様がもはやテリーにも私に対しても怒っていない」と感じたそうです。まさに、祝福されし映画となった本作。

 

そもそも、ひさびさにこんな直球な邦題を見ましたよ…。「テリー・ギリアム」の「ドン・キホーテ」。監督の名前を冠したタイトルが付けられるなんて今どきないわ(笑)。

 

 

以下ネタバレ。

 

 

 

 

「夢」の共有

とにかく、本作も他のギリアム作品同様、終始悪夢みたいな映画です。

ドン・キホーテ(実際は靴職人のハビエル)の暮らすトレーラーハウスのガラクタ感、彼が戦う鏡の騎士の衣装(てかあれ鏡でなく切ったDVDですよ!笑)、イスラム教徒たちの居住区の猥雑さ、死んだ動物に群がるウジ虫や蝿の飛ぶ音…映像面でも「ギリアムの映画を観てる!」というワクワクとした気持ちで胸がいっぱいになります。

 

物語の方も、主人公トビーの仕事はイメージが全く形にならず、うまくいかない。それなのにプロデューサーやクライアントは身のないやり取りをしていて、セットが散乱した現場は『ロストインラマンチャ』で見た混沌とした撮影風景のよう。まるで、これまでの悪夢を昇華していくように、監督は次々に自身の体験をユーモアを込めて映画に盛り込んでいます。

トビーは物語を追うわたしたち観客の目線であると同時に、「監督自身」でもあるわけですね。

 

そしてもちろん、自分を偉大なる騎士と勘違いした「ドン・キホーテ」を演じて自身をそれと同化して二重三重の構造に陥っている老人ハビエルも「物語に生きる」ギリアム監督そのもの。彼が「物語」を信じれば信じるほど、現実の方が彼に従っていく(ように見える)。それって、想像力を具現化する映画監督の仕事そのものですよね。

 

そんな二人のキャラクターが行きつ戻りつしながら、「物語」を共有し次第に一つになっていくんですね。

これまでのギリアム作品同様、彼らの「物語」が現実を凌駕する瞬間が何度も訪れる。それはまさしく、創作者と「物語」を共有する映画体験そのものでもあります。

 

 

誰がドン・キホーテを殺すのか

しかしながら、これまたギリアム作品同様というべきか、結果的にハビエルの「夢」=ドン・キホーテは現実に打ち砕かれてしまいます。

彼の「物語」は権力者たちから搾取され金儲けの道具とされる。ハビエルが笑い者になるシーン、ほんと切なくなりましたね…つら…。

それを目の当たりにしたトビーは、自ら「物語」の担い手としてドン・キホーテにとっての夢の象徴であるドゥルシネア姫=アンジェリカ(トビーにとってのミューズでもある)を救おうと立ち上がります。けれど、手違いからハビエルは転落死してしまうのです…。

夢の喪失と終わり。

そう、本作の原題は「The Man Who Killed Don Quixote」。ドン・キホーテを殺した男。

これは確かにトビーのことでもありますが、本当に彼を殺したのは、想像すること、夢を、物語を信じることを許さないこの現実なのです。

 

しかし最後はやはり、ギリアム作品。

「ドン・キホーテ」が、夢や希望や「物語」が、死ぬことはない。

トビーはドン・キホーテを殺した現実に抗うかのように、自ら「ドン・キホーテ」となることを選ぶのです。トビーはアンジェリカを従者サンチョ・パンサとして従えて、再び旅に出る。この「物語」に終わりはない…。

 

このラストを、人によっては狂気だと言うかもしれません。あるいは恐ろしいホラーだと。

確かに夢を見続けることはこの上ない恐怖です。目覚めて現実を直視することをせずに生きることは、狂気の沙汰かもしれません。

けれどもわたしは、愛馬ロシナンテにまたがり夕日に向かうトビーの背中は、観客にこう問いかけているように思えました。

「お前はドン・キホーテを殺す側の人間か?それとも、ドン・キホーテになれる人間か?」と。

 

例え狂気と言われても、わたしはこの映画を愛する。

「わたしは、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ!」

「物語」を信じる人間であり続けたい。

 

 

 

作品情報
  • 監督 テリー・ギリアム
  • 脚本 テリー・ギリアム、トニー・グリゾーニ
  • 製作総指揮 アレッサンドラ・ロ・サヴィオ、ジョルジャ・ロ・サヴィオ、ジェレミー・トーマス、ピーター・ワトソン、J・ロペス・ブランコ、F・トゥウェード
  • 音楽 ロケ・バニョス
  • 製作年 2018年
  • 製作国・地域 スペイン、ベルギー、フランス、イギリス、ポルトガル
  • 原題 THE MAN WHO KILLED DON QUIXOTE
  • 出演 アダム・ドライヴァー、ジョナサン・プライス、ステラン・スカルスガルド、オルガ・キュリレンコ、ジョアナ・ヒベイロ