あらすじ
火星に移住するため、8000人を乗せて地球を出発した宇宙船アニアーラ号。しかし途中でトラブルにより燃料を失い、宇宙をさ迷い続けることになってしまう。絶望する者、達観するもの、カルト宗教まがいの行動に出る者…さまざまな人間たちを乗せて、アニアーラは旅を続ける。
そしてある時救助船の接近を探知し、人々は希望を抱くが…
厭世的な死生観漂う北欧SF
スウェーデン・デンマーク合作の終末系SF。
原作は1974年にノーベル文学賞を受賞したスウェーデンの詩人ハリー・マーティンソンの1956年の代表作です。
放射能汚染された地球から火星へと飛び立った宇宙船アニアーラ号は、不慮の事故により、琴座にむけて永遠に宇宙をさまようことになる―。孤独な航海の物語に、新旧約の聖書や数々の神話を重ね、科学用語や独自の造語を散りばめて創りあげた壮大なる詩世界。(GoogleBookより引用)
と、説明を読んだ限りなかなか難解な雰囲気…。
なので、ちょっと小難しい話かな~なんてそこまで期待してなかったんですが、映画はすごく分かりやすくて思いの外面白かったです。
「アドアストラ」とアプローチは正反対ながら、根底にあるテーマは近いと思います。あちらに感動した方は是非こちらも鑑賞して、人類の奥深さを感じていただきたいなと思いますね。
お話じたいは「地球から離れた人類が破滅していく」という実にシンプルなものです。宇宙を舞台にしたこの手のSFは珍しくもなんともないんだけど、それが過度に暴力的でもパニック的でもなく、非常に静謐なのにひたひたと狂気に陥っていく独特の空気感がとても良かったですね。
人類は所詮グラスの中の泡
特に印象的だったのは人類を「グラスの泡」に例える件。グラスを手にしている神にとって、泡の動きなど些末な事象に過ぎない、と。それは進歩しようが滅亡しようが、宇宙にとっては大した問題ではないのだということ。(同じことを「ムーミン谷の彗星」で哲学者のじゃこうねずみも言ってたね)
奇跡はただの偶然で、人間死ぬときは死ぬ。希望なんて所詮は気休めに過ぎない…。
60年も前の散文詩がなぜ今さら映画化されたのかを考えると、このあまりに達観したニヒリズムが今の時代に合っているのかなと思いました。
そしてこの「アニアーラ号」じたいが「方舟」であると同時に「地球」そのものなんですよね。アニアーラ号が制御不能に陥った原因もスペースデブリ(宇宙ごみ)だし、アニアーラ号の内部崩壊も、結局はすべて人間のまいた種。そんなアニアーラ号が行き着く先の皮肉に思わずにやりとしてしまいました。
ちょっと前にグレタ・トゥーンベリさんの演説が話題になったけど、それと対になるような作品なのではないのかなー、なんて個人的には思ったりもして。
実は観た直後はそこまででもなかっんだけど、思い返してすごい映画だったな、感じています。宇宙の映像もきれいだし、何より変なSFガジェットがほとんど出てこないのが逆に新鮮だった。宇宙服なんてみんな着てないし、船の内部もいうなれば豪華客船やショッピングモールといった感じ。予算的な問題もあったのかもしれないけど、むしろこの地球っぽさが「宇宙deディストピア」感を際立たせていたと思う。
まぁ難解な(というか説明不足で「え、これ何?」みたいな)ところもなくはないし、多分万人にウケはしないのでむやみにおすすめはしません。でも好きな人は絶対ハマるやつなので、予告などを観て興味を持たれた方は是非どうぞ。
ただもう少し話題になっても良い気がするんだよなぁ…。
それにしても今年は「アドアストラ」、「ハイライフ」とアート内向SFの良作が目白押しですなぁ~
以下ネタバレ。
意味のない意味の数々
この作品、一応主人公である船内の職員の女性MR(名前の略称)の視点で話は進みます。
彼女は「アニアーラ号」に搭載された、地球のイメージ映像を人間から取り込み、それを見せる人工知能「MIMA(ミーマ)」の操作担当。どうやら地球は異常気象や環境破壊にさらされて人間が住める星ではなくなってしまったらしい。アニアーラ号にも山火事なのか戦争なのかわからないけど、顔や体に大きな火傷を負った人がたくさん乗ってる。火星への移住を目的としてはいるが、移住先の火星も決してユートピアではないようだ。
MIMAは当初こそ大して人気が無かったけれど、火星への進路からはずれたことを知ると人々が大挙して押し寄せるようになる。
しかし、吸収されるイメージの中の人々の恐怖や悲しみといった負の感情に耐えられなくなったMIMAは自ら死を選ぶ…
予定では3週間だった宇宙旅行も5年目に突入。拠り所を失った人たちはカルトをかたる乱交パーティーで刹那的に快楽を得ることで平穏を保つ。
けれどそれさえも、そのうちに飽きてくる…
同性愛者であるMRはパートナーであるイサゲルの妊娠出産(乱交パーティーで身籠った)を経て、生きることになんとか希望を見出だそうとするが、一方のイサゲルは絶望し自死を図る…
と、作中さまざまなイベントが起こるのだけれど、そこに何らかの意味を持たせることは一切ないんですよ。救助船かと思われた槍のように細長い宇宙船も、結局なんだったのか明かされることはない(地球外生命体のものだった?)。
意味ありげだけれど、なんの意味もない。
まるで人の生き死にと同じ。
わたしたちはなぜ生きるのか?そんなことを考えることさえもバカバカしい。人間は簡単に死ぬけど簡単には死ねない。この哀しい矛盾。
MRや他「死ななかった(死ねなかった)」人々は虚無の中で生き続けるしかない。
破滅を前に狂気に陥いることができる人なんてのはむしろ少数派で、ほとんどの人は淡々と事態を受け入れて抗うことなく粛々と生きていくんじゃないかと思うんだよね。
でも、そっちの方が実は狂ってるし異常なんだよな…
そして598万1407年後、アニアーラ号はついに地球周辺に帰還する。出発時には雲に覆われ汚染されていたはずの地球も、人類の不在と長い年月により青く美しい姿を取り戻していた。
もちろん、巨大な石棺と化したアニアーラにもう人類はいない。
終わりからのはじまり
実はこの映画、エンドロールのようなはじまり方をするんです。地球の崩壊の映像とともにテロップが流れていくんですよ。
つまりこの映画は終わりからはじまっている。いや、本当はわたしたちが生きている「いま」が終わりなのかも。
ちなみに、この「アニアーラ」という名前はフィンランドの南東部の村の名称。
18世紀、当時スウェーデンの従属国だったファンランドは、スウェーデン支配にうんざりしていたこと、そしてロシア・スウェーデン戦争(第一次フィンランド戦争)を回避する目的でフィンランド兵士たちによる和平嘆願が行われました。これを「アニアーラ事件」と呼び、フィンランドのナショナリズムが目覚めるきっかけともなったと言われています。
しかし結果としてこの目論みは露呈し、戦争は回避されませんでした。その後もフィンランドはロシアやフランス、ドイツと様々な国々に翻弄され受難の道を歩むこととなります。
原作を読んでいないため、作者がなぜ宇宙を舞台にした詩にこの名を冠したのかはわかりませんが、「終わりのはじまり」のつもりで名付けたのだとしたらあまりに皮肉ですね…。
響きも美しいし、何か他の意味もあるのかもしれません。とは言えそこに意味を見いだそうとすることもまた無意味なようにも思えます。
アニアーラ号のようにゆっくりと、でも確実に崩壊していくその可能性を内包して、今日も地球は回っている。
作品情報
- 監督 ペッラ・カーゲルマン、フーゴ・リリヤ
- 製作年 2018年
- 製作国・地域 スウェーデン、デンマーク
- 出演 エメリー・ヨンソン、ビアンカ・クルゼイロ、アルヴィン・カナニアン