あらすじ
世界各地に突如、12隻の未確認飛行物体が現れ、 世界中がパニックに陥る。言語学者のルイーズ(エイミー・アダムス)は、エイリアンの目的を探るため、理論物理学者のイアン(ジェレミー・レナー)、軍のウェバー大佐(フォレスト・ウィテカー)らと共に、彼らとの言語による意思疎通を試みる…。
『ブレードランナー2049』が公開間近のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のSFドラマ。レンタルが始まってましたのでね、早速借りて参りました。実はものすごーく楽しみにしていた作品です。というのも、本作が語られる際によく引き合いに出されていたのが『コンタクト』でして。
わたしはこの映画が大好きなんですよ。最初に観たのって中学生くらいだったかなぁ?当時確執のあった父親と観たって言うのもあって、 思い出深い鑑賞体験だったんですよね。
そんな思い入れのある作品と並び称されるとあらば、自ずと期待も高まります。しかも、公開中は絶賛の声ばかりだったので、期待値はマックス!そんな心持ちでいざ鑑賞となりましたが…
その期待を上回る感動と面白さ!
SFの醍醐味である理論と思考を見せつけ知的好奇心を刺激しながら、しっかりとミニマムな人間ドラマに落とし込み、かつ根底に平和と人間讃歌が響いているという、感動巨編でございました。
これはね、考えるというより「感じる」SFです。愛ですね、愛。「世界平和のために何ができるか、それは家族を愛することです」とマザーテレサが言ったことを思い出しました。
愛を感じるSFと言えば、最近だと『インターステラー』を思い浮かべますが、あちらがガチ理系SFなら本作は文系SFとでも言いましょうか。エイリアンに「言語」という新しいアプローチを試みる姿勢は文学的です。
彼らの発する「文字」もアーティスティック。
また、「黒いばかうけ」などとも称された宇宙船"殻(シェル)"の初登場シーンなどは情緒的で静謐。オーバーみの少ないキャストの演技、仰々しさを極力抑えた演出が、ラストのヘプタポッド(宇宙人)との邂逅によるカタルシスへと繋がり、感動を呼びます。
雲海に映える宇宙船が美しい!
「対話を重視する」ことが和平への近道という帰結も胸を打ちます。やたらときな臭いこのご時世、国家元首の皆さんもご覧になって是非世界平和のためお役立ていただきたいと思いましたね。まずは対話と相互理解。言語から和平は始まるのです。
そして一番わたしを泣かせたのは、これが1組の親子の物語だったと言うこと。主人公、ルイーズが下す決断はあまりに切なく悲しいものです。けれど、きっとわたしが同じ立場だったとしたら、彼女と同じ決断をしたでしょう。だって、そのためにわたしは、生まれてきたんだから。
我が子への愛を伝えたくなる、感動の一作。おすすめです。
以下ネタバレ。
ヘプタポッドはかわいいぞ!
さてはて、前述の通り感動を呼ぶSF大作である本作ですが、まず、書いておかなきゃならないのは準主役とも言っていい、宇宙人の通称ヘプタポッド(7本脚)の二人。
吸盤までついてて、墨吐き出して文字書く、…って完全にイカなんですが(つまりばかうけはイカ墨味だった…違)、これがねーだんだんと可愛く見えてくるんですよ。「WALK」の文字に合わせて歩く姿なんてヨチヨチしててもう超かわい〜さー。
だけど、ルイーズの夢として部屋に突然現れた時はギョッとしましたね。監督の『複製された男』の蜘蛛をちょっと思い出しました。
ちなみに、二人の名前である「アボットとコステロ」って何?と思って調べたら有名なコメディアンらしいですね。となると、どっちかがツッコミってこと…?
対話による和平
本作で描かれているのは未知なる異文化とのコミュニケーションです。エイリアンとのファーストコンタクトを取り上げた映画は『未知との遭遇』はじめ、枚挙にいとまがありませんが、本作では、その方法が「言語」というアプローチであることと、それまでのプロセスを描いていることが、これまでと違って新しいと感じました。
ルイーズはアボリジニー(オーストラリア先住民) と開拓者の「カンガルー」にまつわる都市伝説(「カンガルー」は先住民の言葉で「知らないよ」って意味だというアレ)を引き合いに出し、その文化の言語を習得しなければ、相互理解に齟齬が生じると訴えます。
対話によって、相手を理解しようとすることはコミュニケーションの基本です。ルイーズやイアンは、ヘプタポッドとの対話を進めるうちに、彼らへの愛着も芽生えていたように思えます。言語を理解したことで、彼らを自然と仲間のように思えていたからなのでしょう。
しかし、彼らの言語を解せない人にとってみればヘプタポッド=宇宙人は宇宙人のまま。得体の知れない脅威なのです。
ヘプタポッドが発した「武器」という言葉に過剰に反応してしまった兵士の一人がついに業を煮やし、"殻"に爆弾をセットしてヘプタポッド一体を死傷してしまいます。
それにより、協力し合ってきた各国も情報共有を辞め、中国はヘプタポッドへの攻撃を決めてしまうのです。
このままでは、せっかくの相互理解が台無しになってしまう…ルイーズは単独でヘプタポッドと対峙し、彼らの意図を問います。彼らは答えます。
「私たちは、3000年の後に人類に助けを求める。そのための"武器"を与えた」と…。
「武器」とは、彼らの持つ言語そのものであり、それを理解することで与えられる能力。
まさしく「言葉は武器」 を体現し、その能力を駆使してルイーズは中国のシャン上将に進言、対話によって危機の回避に成功します。
このシャン上将との電話のシーンで、ルイーズは銃を向けられているんですね。銃=武器を向けられながら、言葉=武器を繰り出す。
ちなみに、シャン上将の妻の今際の際の言葉に字幕がなかったので調べてみたら、訳すと「戦争に勝者はいない。寡婦だけよ」となるそうです。…確かにあの状況でそんな言葉を聞かされたら、攻撃はやめるよね。
言葉は争いの発端にもなるけれど、救いの道具になることもある。
あなたに会いたくて
冒頭、ルイーズとその娘ハンナの日々のやりとりがフラッシュバックされます。産まれたばかりの娘を幸せそうに抱きしめるルイーズ、そして段々と成長していく愛らしいハンナ(大好き!からの大嫌い!がニクい)。けれど、突如その幸せな日々は終わりを告げる。ハンナが若くして難病を患い、亡くなってしまうのです。
そして物語の最中も、ルイーズがヘプタポッドの言語を理解しようと努める度に、まるで助言のように響くハンナの言葉。この親子の繋がりを強く感じられるのですが…そのうち観ている我々も、ルイーズのいくつかのセリフーー「わたしも独身よ」(未婚の母だったのかな?)「夢を見ることはあるけれど…」(娘との思い出じゃないの?)などに、違和感を覚えるようになる。
すると出し抜けに、ヘプタポッドと対面したルイーズから発せられた驚きの一言。
「この子は誰?わたしは、娘なんて持ったことはない」
!!!!
そう、ルイーズとハンナのやりとりは、過去のフラッシュバックではなく、未来の出来事だったのです!
確かに、伏線はあった。「ヘプタポッドの言語は時制を持たない」「思考は言語によって変わる(サピア=ウォーフの仮説)」…けれどまさか、ヘプタポッドの言語を理解できるようになったルイーズが、時間という概念にとらわれることなく、未来までも見通せる能力を身につけていた…なんて話になるとは!
わたしはこの仕掛けに全く気がつかなかったので驚いたのと同時に、娘の死が、ルイーズに降りかかる回避不可能な未来であることを思って思わず涙が溢れてしまいました。
しかもルイーズは、娘を失う覚悟を持って、その未来を受け入れます。例え、ハンナが死んでしまうとしても、愛した日々はかけがえのないものだから。それに多分きっと、ルイーズはハンナに会いたかったんだと思うんです。記憶の中にしかいなかったその子を、ちゃんと腕に抱きたいと思ったんじゃないかな、と。
わたしも我が子をはじめて胸に抱いた時、「あぁ、わたしはきっとこの子に会うために生まれてきたんだなぁ」とぼんやりと思ったんですよね。いろいろ嫌なこととか辛いこともあったけど、生きてて良かったなぁ、って。
わたしに未来は見えないけれど、例えば自分の子が先天的な病に侵されているとしても、変わらず我が子を愛するでしょう。
そういった未来も全て受け入れて、自分の子を愛して生きたいと、強く思ったのでした。
というわけで、わたしの心にものすごく、ものすごーーく響いた本作。これから何度となく観返す映画の一つとなったことは、わたしにも確実に見える未来です。
テッド・チャンによる原作。短編なのであっさり読めそう。
- 作者: テッド・チャン,公手成幸,浅倉久志,古沢嘉通,嶋田洋一
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2003/09/30
- メディア: 文庫
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宇宙人と会話…って映画で思い出したのはこれ。何気に中国語が鍵になってるところも一緒じゃない?
言語による相互理解のSFと言えば…。わたしの感想はこちら。