あらすじ
アンディのおもちゃだった「ウッディ」はボニーという女の子にもらわれていき、今は彼女のおもちゃたちのリーダー的な存在だ。しかし、当のボニーからはしばらく遊んでもらえていない。
ある日、幼稚園のお試し入園を不安がるボニーを心配してリュックに忍び込んだウッディ。そこでボニーは先割れスプーンとアイス用スプーンで「フォーキー」を作り出す。そしてフォーキーは、ボニーにとって大切な「おもちゃ」となった。しかし自身を「ゴミ」と思い込んでいるフォーキーはボニーのおもちゃであることを拒み、旅行中の車から外に出ていってしまう!
ボニーのことを第一に考えるアンディは、フォーキーを追って車外に飛び出し、またもや前途多難の冒険へと繰り出すのだった。
この冒険が、彼の「運命」を変えることになろうとは夢にも思わず…
どうやら方々で物議をかもしているらしいトイスト4。結論から言うと、わたしはこの終わり方は全然ありだと思います。
というか、あえて続編を作るのならむしろこの終わり方しか残されてないかっただろうとさえ思います。
この映画は、『トイ・ストーリー』の1作目からはじまったピクサーという会社が背負ってきた「運命」そのものについての映画だと思いました。ディズニーの完全子会社となり、ジョン・ラセターが去り、もうかつてのピクサーではなくなったピクサーが、これまでとこれからに思いを馳せて作り上げた映画なのですよね、多分。過去に「オトシマエ」をつけ、前に進むためには、本作を作るしかなかったのだろうと思います。
あと、多分これまでの集大成的な意味もあるんだよね(アンティークショップのシーンにはこれまでのピクサー作品のオマージュ=イースターエッグが隠されているそうなので、目の良い方は是非探してみてください)。
そして、内容としては『カーズ/クロスロード』とも似ているものがあって、「一線を退いた、現役を引退した者に何ができるのか?」という話でもある。そういう意味でも、ピクサー第一世代の人たちのための映画になっているんじゃないかなと思いました。
それから、ウッディは50年代の生まれということを考えると、年齢は70歳前後。ちょうど『トイ・ストーリー』を映画館で観た今の20~30代の親の世代でもある。
そう考えると、「子育てを終えた親の生き方を肯定する」という話でもあると思いましたね。
わたしは、このウッディの生き方、大大大賛成ですよ。だって自由に生きて欲しいもの。誰にだってその権利はあるよね。過去にしがみついて閉じこもっているくらいなら、アクティブエイジを楽しんでよ。
そういう内容だからまぁ、単純にぐっとはくるよね。何度も泣きそうになりました。
ただ、わたしはトイスト3をそこまで評価していない(というか、あれは完全に蛇足だと思っている)、多分世界で2%の人間なので、今回も「でも別にこのシリーズにそれを求めていないよな」と思ったことも事実な訳で。
いや、すごく面白いし、笑えるし感動もするけど、やっぱりわたしのトイ・ストーリーは1(2も入れてもいい)なんだな、と改めて思いました。
とりあえずね、1にあったワクワク感とか楽しい気持ちはもうないのね。なんだろうね、切ない。ひたすら切ない。ずっと切ない。
3、4に関しては子どもに向けて作ってないからそれでいいのかもしれないけど。多分、もうトイ・ストーリーは(というかピクサーという会社自体が)その役割以上の存在になったんだよ、という意思表示なのかなとも思う。
その役割は、今はイルミネーションの方にあるね(『ペット2』楽しみ)。
ちなみに、今回は次男がトイ・ストーリー好きで一緒に観に行ったんだけど(長男はほぼほぼ興味なし)、「おもしろかった~」って言ってたから、まぁいっか。腹話術人形は怖かったみたいで、いきなり出てくるシーンはびくぅっ!としてた笑
以下、ネタバレしながらつらつらと。
すでに他のみなさんがいろいろ言っていると思うので、要点のみあっさりめに書きます。
名前をつけてやる
今回のトイスト4で面白いなと思ったのは、「おもちゃの命はいつ芽生えるのか?」という点に言及しているところ。先割れスプーンのフォーキーは、ボニーに名付けられ「おもちゃ」=友だちと認識された時、命を吹き込まれる。
つまり、ただの空き缶はゴミだけど、空き缶に目をつけて名前をつけたらそれはもうゴミじゃない、子どもにとって大事なおもちゃとなる。
この考えは当然といえば当然なのに、これまではスルーされていたところではあったので新鮮でした。
それで興味深いのは、フォーキーがいなくなった時「フォーキーにはわたしがいないとダメなの」ってボニーが言うんですよ。「わたしにはフォーキーがいないとダメなの」じゃなくてね。実際、ダメなのはボニーの方なのに。
多分ね、この「遊び」が一過性のものだってことをボニーはわかってるんですよ。おそらくフォーキーはそのうち捨てられる運命にあるってことも。
それはもちろんほかのおもちゃも同じなんだけど、既製品のおもちゃには新たな持ち主が現れる可能性はあるけど、フォーキーは「ボニーの」おもちゃでしかない。つまり、彼が他の子の持ちものになる未来はほぼないわけ。だからボニーの言っていることは正しい。
フォーキーにはボニーしかいないのだ。
言うなれば、フォーキーの役割は『インサイドヘッド』のビンボンと一緒でイマジナリーフレンド。だからこそ、例えフォーキーを捨てたとしても彼との遊びをボニーは忘れないと思うんだよね。
最終作にこのキャラクターを持ってきたことに思わずうなりました。だって、これって「おもちゃ」の本質でしょう?
とりあえず、6歳児が牛乳パックで作ったハイパーゴジラとキングギドラ2号はまだ捨てないでおこうと思いました。
無限の彼方へ
野良おもちゃとして、持ち主のいないおもちゃたちを子どもに届けるという新たな生き方を選んだウッディ。それは、一人の子どものためではなく、全ての子ども、全てのおもちゃのために生きるということ。
おそらく、本作に難色を示している多くの人が、このウッディの選択を受け入れられない、と思ってるんじゃないかと思うんですよね。
これ、「母親にはずっと母親でいて欲しい」って気持ちと同じなのかな、と漠然と思いました。もし親が、「家を出て放浪の旅に出ます!」って言い出したら、そりゃぁ引き止めたくもなるわな。正気になれ!って笑。
あと、いつまでも自分を心配して、見守る存在でいて欲しい…。そんな風にウッディを思っているんじゃないかなって。違っていたらごめんなさい。
ただわたしはね、すごくいい終わり方だなぁと思ったの。次の世代のためにすべきことを、ウッディは選んだんだよね。
それから、ボー・ピープが「こんなに世界は広いのに子ども部屋にいたんじゃもったいない!」と言っていたけど、もう、自由にしてあげてもいいんだよね。狭い世界に留め置くのではなく。
そしてそれはそのまま、この『トイ・ストーリー』というシリーズを旅立たせて、ピクサーという会社を新しいステッブに進めよう、という所信表明でもあるんだと思った。
製作中はクルーも泣いた、でもそうするしか無かった。映画『トイ・ストーリー4』プロデューサーにインタビュー | ギズモード・ジャパン
上のインタビューを読んで、おそらくだけど、よほどのことがない限り、もうピクサーはトイ・ストーリーを作らないんじゃないかと思いました。そしてそれがきっと良いんじゃないでしょうか。
だってこの終わり方は、もしかしたら世界のどこかにウッディがいるかもしれないっていう、その可能性を想像できるってことじゃん?アンディでもボニーでも、他の誰かのものじゃなくて、あなたのものでもあって、みんなのものであるウッディ。それってすごく素敵なことだじゃない?
つまりウッディは、全ての子どもたち(かつて子どもだった人も含む)を見守る「概念」になったってことだから。
きっとあなたが困ったとき悩んだとき壁にぶち当たったとき、ウッディがそばに来て、背中を押してくれるんだよ。
無限の彼方に、さぁ行くぞ、ってね。
作品情報
- 監督 ジョシュ・クーリー
- 脚本 ステファニー・フォルソム、アンドリュー・スタントン
- 製作総指揮 アンドリュー・スタントン、リー・アンクリッチ、ピート・ドクター
- 音楽 ランディ・ニューマン
- 製作年 2019年
- 製作国・地域 アメリカ
- 声の出演 トム・ハンクス、ティム・アレン、アニー・ポッツ、トニー・ヘイル