あらすじ
OLのクミコ(菊地凛子)は人付き合いが苦手で、勤め先でも浮いている。上司からは年齢を理由に暗に退職を促され、離れて暮らす母親からは「結婚しないなら戻って来い」とうるさく言われ、暗澹たる思いを抱えていた。そんな彼女の救いはウサギのブンゾーと映画『ファーゴ』のビデオ。クミコは映画冒頭の「実話である」とのテロップを信じ、劇中で雪中に埋められた大金が実在すると思い込んでいたのだ…。
随分前に町山智浩さんが、ラジオでドラマ版『ファーゴ』の話をしていて、その流れでこの映画のことも話していたのを聞きまして。すごく気になっていたのだけれど、日本公開はされず、気づいたら最近しれっとビデオスルーされていたようなのでレンタルしてきました。
なかなか興味深かったです!!
本作はおそらく菊地凛子の代表作になっただろうと思うので、日本未公開なのがちょっと残念。菊地凛子は病んでる女が板についてるなぁ…。彼女が演技の上手い女優さんなのかはよくわかりませんが、覚悟のある女優なのは間違いない。上司のお茶に唾液を吐こう…として止める一連の動きは、観ててちょっと変な汗出た(笑)。
とにかく、主人公クミコの行動がもう危うくてね、
狂気!!Σ(゚д゚lll)
と何度思ったことか。
この映画、アメリカで話題になったある噂話を基にして作られているそうです。
2001年に、コニシタカコさんという日本人女性の凍死遺体がノース・ダコタ州ファーゴの近くで発見されます。その前にタカコさんを保護したという地元警官が、彼女が映画『ファーゴ』の話をしており(言葉はあまり通じなかったらしい)、劇中に出てくる大金を探していたのでは…なんて証言したことで、この話が都市伝説的に広まったらしいんですね。
ただ実際は、コニシさんはアメリカ人男性との不倫に悩んだ末の自殺とみられ、遺書も見つかっているとのことです(この辺りの事情については2003年に『ディス・イズ・ア・トゥルー・ストーリー』というドキュメンタリーが作られ、まとめられています)。
その都市伝説に興味を持った本作のデビット・ゼルナー監督が、そこに肉付けをして完全なるフィクションとして作り上げたのが本作であります。どうやら噂のもとになったコニシさんに関して、監督は何の取材もしていないそうで、本作の「クミコ」のキャラクターは全くの創作だそうです。
たしかに、クミコの行動は「コミュ障」なんて言葉では片付けられないほど常軌を逸してて(友人の子どもを置き去りにして逃げ出す、図書館の本を盗む、上司のクリーニング済みスーツを捨てる…などなど)、「いや、さすがにそれは…」と共感できないところばかりなんだけど、彼女の置かれている状況ー常に意識させられる年齢、OLコミュニティのいやらしさ、母親からの過干渉コール、さして仲良くもない旧友からの誘いーなどの、「29歳の日本女性が感じる様々な煩わしさ」は理解できるところも多々ありました。
それから、クミコの暮らしにちゃんと生活感があったのもよかったな。決してキレイとは言えない部屋で、洗ってない服をくんくんチェックしたり、寂しくてつい飼いはじめただろうペットがウサギだったり、満員電車に乗ってる時の顔が幽霊みたいだったり…こんな人多分いるよなぁっていう…。監督の周辺や制作サイドに日本人の方が多かったのか、その辺りの描写には気づかいが伺えました。
正直、退屈なところもなくはないので万人におすすめというわけではないですが、ご興味ありましたら是非〜。
ちなみに、このフォークロアなケープはモーテルからパクった毛布でございます。
以下ネタバレしています。
トレジャーと言う名のプレジャー
クミコが唯一心の拠り所にしている『ファーゴ』が「ビデオテープ」だというのがまた本作に良い「ひずみ」を生み出していましたね。中盤にビデオが壊れてDVD(テレビもブラウン管から液晶へ)に文明化してましたけど。
怪しげな洞窟で見つけた怪しげなビデオテープ(もしかしたらオープニングのこのシーンはクミコの妄想なのかも)
再生してしまったクミコは1週間後に死…って違う映画だ(笑)。
ビデオっていうのがなんとも禍々しいんですよね。映像は乱れて音声は歪んでるし、見た目完全に呪いのビデオじゃんっていうね…。途中テープがデッキに引っかかって伸びてしまうのだけれど、その伸びたテープがまた怨念の塊のようで、不気味です。もちろんそれがクミコの一部であったことは言わずもがな。体内から排出された汚物のようにトイレに流されるのです。
Jホラーを感じさせるシーン。てか、実際問題こんなん流したら詰まるからな(笑)。
クミコはそんな自分の一部でもある『ファーゴ』に魅入り、一心不乱にノートに書き込んだり、
カール(スティーブ・ブシェミ)が雪に大金の入ったカバンを埋めるシーンをトレースして刺繍にしたり、
挙句に世界地図を盗むって…(笑)。
やってることは完全に的はずれだし、その情熱の矛先を違うものに向けたら彼女はもっと幸せになれたんじゃないかと思うのです…。
しかし、考えようによってはこの「宝探し」があったから、クミコは生きて行けたのかもしれない。それは生き甲斐なんて言葉で終わらせるには陳腐なほど力強いもの。『ファーゴ』のビデオは彼女の幸せであり、喜びであり、全てだったのかもしれないのです。
現実の果て、虚構の向こう
正直、クミコの日常が延々と繰り返される前半は、鬱々としていて長いです。クミコの度重なる奇行に引きながら、観てるこちらのフラストレーションも蓄積されていきます。彼女はきっと同僚のOLから影で笑われてるし、親も「うちの娘は結婚もしないでヤレヤレ」と思ってる。クミコは日本のどこにも、居場所がない。常に赤いパーカーを纏い都会をさまよう彼女はまるで、森で迷った赤ずきんのようです。
我慢が限界に達したクミコはついに一念発起、上司のお茶に唾を吐き、ウサギを地下鉄の車内に捨て、会社のカードを持ち逃げしてアメリカへ旅立つ。 クミコはおそらく、自殺するつもりだったのでしょう。最後に何かを成し遂げたい。ただの平凡なOLではなく、トレジャーハンターとして死にたい。そんな思いが彼女をアメリカに向かわせたのではないかと。
だから、抑圧されていた日本での生活を捨てたクミコが、「NewWorld」と題された後半でやっと解放されるのかと思いきや、彼女はどんどんこじれていく。そこでは、日本での彼女への扱いが嘘のように、アメリカで出会った人たちは、みんなクミコに優しくしてくれる。なのにクミコはその善意を受け入れられない。
彼女はもう、自分だけの「リアル」だけしか信じられない。後戻りできない。
せっかく懇意にしてくれた見ず知らずのおばさんや、優しい保安官(監督が演じている)にも、「そんなばかな」って行動ばかり取って、結局いろんな人に迷惑をかける。
このダイナー、『ファーゴ』でマージと夫が食事していた店の雰囲気あるよね。
保安官から「映画はフィクションだから大金は存在しない」と言われて、このセリフ。
「NOT Fake!」
でもね、思ったんですよ。「わたしは彼女を笑えるか?」って。
フェイクニュースが蔓延し、歴史的事実さえも否定される昨今。自分の見たい「リアル」だけを信じ、「現実」を拒否する人たちはいっぱいいる。虚構にすがらずには生きていけない。嘘だけが拠り所。
わたしだって時に映画観たり小説を読んだり虚構に触れて、そこに活路を見出すことなんてしょっちゅうです。彼女は「普通」じゃないのかもしれない。でも、自分が普通だなんて、誰に言える?
ラスト、ついにクミコは彼女の「トレジャー」、大金の入ったカバンを見つける。傍らには大切な友達、ウサギのブンゾーが。その場所が冥土なのは明白ですが、クミコにとっては紛れも無い「現実」。自らの死をもって、虚構を完成させたのです。
つまりはきっと「本当」がどこにあるのか、クミコは知っていたんだと思うのですよ。『ファーゴ』で、ジェリーの嘘と虚構を見抜いたマージのように。
まぁなんだかんだで好きな菊地凛子はコレ。でもごめんなさい、わたしいつも吹替で観てるの…(吹替は本人ではなく林原めぐみさん)。