あらすじ
広島に住むすずは絵を描くことが大好きな、少し空想癖のある女の子。年頃になったある日、呉の青年との縁談が持ち上がり、「好きか嫌いかもわからない」人のもとへお嫁に行くことになる。見知らぬ土地、見知らぬ人々に囲まれて、すずの新婚生活がはじまった。けれども戦争が激しさを増すと、配給物資は減り空襲は度重なる。それでもたくましく生活しようと奮闘するすずだったが…。
以前ユーロスペースで映画を観た時に予告が流れた時は「あれ、戦争映画なのに公開は夏じゃないのね」くらいしか思わなくて。その時はそこまで興味をそそられなかったんだけど、Twitterを賑わせているのも気になったし、原作も面白かった記憶があったし、今年のワッシュさんのベストテン企画が「戦争映画」ということもあったのでね、劇場まで足を運びました。
実はわたくし、現在妊娠中でして。おそらく映画館に行けるのは今年はこれが最後だろうと思います。結論から言うと、出産前にこの映画を映画館で観ておいてよかった、ということです。
今作はクラウドファウンディングで資金を集めたことや、主演をつとめた「能年玲奈改めのん」ちゃんのいろいろ(特にファンでもなんでもないわたしからしたら、かなりどうでもいい話)も注目を集めて、公開前から話題になっていましたね。
原作はこうの史代の同名漫画。
同じくこうのさんの、戦争と広島の原爆を題材にした漫画も田中麗奈主演で「夕凪の街、桜の国」は実写化されています。
わたしはどちらの漫画も読んだのですが、今作はそのほんわかした原作の色そのままにアニメ化されていて、観ていてとても楽しかったです(実写版「夕凪〜」はその辺りがあまり成功していたとは言えなかったと思う)。
ですが、全3巻とはいえ、映画化にあたり端折った箇所も多く、駆け足すぎる&説明不足な部分もあり、原作既読者からすると「ん?」と思うところもありました。けれど概ね破綻なくまとまっていたと思います。
何より、すずが空襲を見上げるシーンや、後半彼女を襲う悲劇などの、映像化ならではの演出が本当に見事でした。
この映画はいわゆる「戦争(反戦)映画」とは少し違います。空襲や原爆、配給の描き方のほか、本来なら悪役認定されそうな「憲兵さん」の扱いなどを見ても、従来の「戦争」を描いてきた映画とはまた違うアプローチをしていると感じます。
この映画の主役は、戦争で戦った兵士や英雄ではない。名もなき市井の人々とその生活の営み、そして変わらぬ自然の移ろいです。日本の原風景とも呼ばれるものがそこにはあります。
観終わった後に感じるものは人それぞれだと思いますが、何も思わない人はいないはずです。
それから、わたしは平日の朝イチの回で観たのですが、驚いたことに最前列を除いてほぼ満席でして。そして、観賞後には観客との間に、無言の一体感みたいなものを感じました。
上映終了後、トイレに行くとみんな目がうっすらと赤くて、お互いに「うん、わかるよ」みたいな空気が漂っていた。一人で観たはずなのに、観客の間で不思議な連帯感が芽生えていた。映画館で観られて本当によかった。 #この世界の片隅に
— ナオミント (@minmin70) 2016年11月16日
なかなかこういう感覚を味わえる映画ってそうそうないと思います。そういう意味でも、これは映画館で観るべき映画なのではないかと。
以下少しネタバレあり。
キャラクターが魅力的!すずのあちゃー(>_<)顔が最高にかわいい。
とにかくね、キャラクターがみんなかわいいです。まるっこくてちんまりした目鼻、ふにゃっとした柔らかい体のライン、短めの頭身。写実的とは程遠い、とてもまんが的なキャラ絵なんだけど、これが不思議なことに生き生きして見えるんですよ。
特に好きなのは「いやー」とか、「ありゃー」とか言う時のすずの顔ね。くにゃっと首を傾げる仕草とか本当にかわいい。
すずの声を演じたのんちゃんは、喋るたびに顔が浮かんでしまうんですね。そのうち完全にすずがのんちゃんに見えてくる(笑)。それってアニメの声優としてどうなのって問題はあるのですが、でも不自然じゃない。実際あちゃーってやりながら声入れてる様子が目に浮かびます。舌足らずな口調が方言の柔らかみをより際立たせていて、本職の声優さんにはない味がありました。
他のキャラクターや声優さんたちもみんな魅力的で。ちょっと無愛想で寡黙な夫の周作さん、にこやかで明るい妹のすみちゃん、キツさの中にも優しさのある義姉の径子さん、かわいすぎる姪っ子の晴美ちゃん…みんなみんな、とても、愛おしいのです。だからこそ、だからこそ彼らが悲しい目に合うと、こちらもとても悲しくなります。
それでも、どんなに辛くても「歯をくいしばる」とは真逆に、ゆるゆると乗り越えようとするすずの、「柔らかな強さ」が最後まで救いであり希望です。でも、それが市井の人々の本当のたくましさなんだよなぁ。
踊るような奏でるような素敵な料理シーン!
わたし、基本的にアニメの料理シーンって好きなんですけど(アニメならではの過剰と省略の長所がよく表れるシーンだと思うので)、今作の料理シーンは本当に素晴らしかった。
すずがまるで楽器を奏でるように軽やかに、ダンスを踊るようにリズミカルに料理をするんですね。
まるでバイオリンを弾いているみたい。ちゃらら〜んて音が聞こえてきそう。
すごく楽しそうで、美しい。食材が食材だけに、できあがった料理を「おいしそう〜!」とは思えないんだけど(笑)、それでも少ない配給に野草を加えて工夫して、素直にすごいなと。でもそんな涙ぐましい努力を、決して苦労とは感じさせない。「こうやって戦っている」と言うセリフもありましたが、食卓から戦争をしている、という視点がやはり女性らしい目線なのかなと思います。
この料理シーンだけでも、わたしにとっては観る価値がありました。
タンポポの綿毛のように
主人公のすずは終始ぼんやりとしていて、結婚する人の名字も住所もわかってないような天然ボケな子なんですね。どこかふわふわとしていてとらえどころがない。それは風まかせにどこへでも飛んでいくタンポポの綿毛のようです。
今作ではタンポポが何度も象徴的に登場します。タイトルバックでは黄色と白のタンポポの咲く土手の青空に、タンポポの綿毛が舞っています。風に吹かれて流されて飛ばされて。その様子は意思を持たず言われるがまま呉に嫁いだすずの姿と重なります。
周作さんとすずは畑で黄色いタンポポを見つけます。「黄色は珍しい」と手折ろうとする周作さんをたしなめるすず。「広島から来たかもしれないし」と。彼女はそのタンポポに自分を重ねたんですね。 綿毛はどんなに遠くに飛ばされても、種はいつか地面に根を下ろす。同じようにすずも、紆余曲折あっても最終的に呉で周作さんのそばで生きようと決めます。
この映画は、時代という風、戦争という風に流されて飛ばされてきた一人の少女が、一人の女性として成長し、ある場所に根付いて生きて行く、そんなお話だったと言えます。
「ありがとう、この世界の片隅にうちを見つけてくれて」というすずのセリフには、ただの綿毛だったタンポポが根を下ろし、花開かせたかのような輝きがありました。
ちなみに、原作ではかなり重要だった遊女のリンさんのエピソードが、映画ではほぼばっさり切り捨てられています。原作ファンの方は恐らく不満だとは思いますが…(それにより、水原くんとのやり取りや、すずが広島に帰ると言い出すことの意味合いが原作とは若干変わって見える)。でも、リンさんのわだかまりがなくなったことで、周作さんとの関係がすっきりとまとまっていたのでわたしはこの改変はアリだったと思いますね。
だから、汽車での二人の夫婦喧嘩も、とても愛らしく感じられます。お互い好き好き!言ってるだけにしか見えないって言うね(笑)。
「戦争」という拠り所
ずっとほんわかと笑っていたすずが激昂し号泣するのは、玉音放送で戦争に負けたと知らされた時です。「そんなこと(戦局が厳しいということ)わかっとったはずやろうに、まだここに5人もおるのに、まだ左手も両足も残っとるのに!」
戦争が終わってよかったと思う人、死んでいった人を悼む人、すずのように憤る人、当時あの知らせを受けて感じたことは人それぞれだったろうと思います。
でも、すずちゃんのようにほんわかとしたあまり感情を表に出さない(というか意思をもっていない)人があんな風に取り乱すことに、少なからず衝撃を受けました。それはおそらく逆説的に、戦争がある意味、すずの拠り所でもあったということなのでしょう。
戦争があったから食料が少なくても笑っていられた、戦争があったから大事な右手を失っても生きてこられた。戦争があったから…。
皮肉なことに、実はすずは、「戦争」に支えられていたのかもしれないのです。
あなたたちが生きていてくれたから
戦争で失われた命はあまりに膨大で、わたしたちはその悲劇の方に目を向けがちですが、今を生きるわたしたちに命を与えてくれたのは、その悲劇を生き延びたすずちゃんや周作さんのような人々のおかげなのです。
戦争を生き延び、生き抜き、生き残った人々がいて、わたしは、この人たちと同じ地続きの日々を生きている。8月6日があり、9日の後も10日はやって来て、8月15日が終わっても、日常は続いていく。
わたしが中学生の時に亡くなった父方の祖母は、がっつり戦時中を生きていた人でした。思ったことははっきり言うし、かなりキツい人だった。今作のすずの義姉径子さんを見ていて「なんかおばあちゃんに似てるなー」と思ったんですよね。あんな風にたくましくないと女の人は生きていけない時代だったのかもしれない。そんなおばあちゃんは戦争のことはあまり話したがらなかった。
でもある時、「いい人はみんな戦争で死んだ。生き残ったのはろくでもない奴らばっかりだ」みたいなことを言ったんです。なんでそんな話になったのか前後を全く覚えていないんだけど、その一言はかなり衝撃的で。そこには「自分もそのろくでもない人間の一人だ」と言ったニュアンスが含まれていたように思えたんですね。
もしかしたらこういう気持ちって、あの時代を生きてきた人はみんな共通して持っているものなのかもしれない。「生き残ってしまった、死に損なってしまった」という負い目のようなもの…。
わたしがこの映画を観終わってまず思ったことは、「戦争はいけない」とか「この悲劇を繰り返さない」なんてことではなくて、ただ、とにかく「この人たちが生きていてくれてよかった」ということだったんですね。死なないでいてくれて本当によかった、と。
「何も知らない少女のまま死にたかった」と慟哭したすず。ただただ娘を思って泣くしかない径子さん。集会所の前の死体が自分の子だと気づかなかった、と吐露するお母さん。母親を原爆で失った孤児の女の子。
多くのものを失ったけれど、それでも生きていてくれたあなたたちのおかげで、わたしは確かに生きているのです。
わたしは、おばあちゃんに「ありがとう」って言いたい。生きていてくれて、お父さんを生んでくれてありがとうって。あなたがくれた命を、わたしは確かに生きています。そしてそれは、わたしの子どもにも受け継がれているのです。
そんなわけで、他にもいろいろ書きたいことはたくさんあるのですが、とーっても長くなってしまったので、おしまいにします!
あともう一回くらい観たいけど、難しいかな〜…。
この戦争映画もおすすめです。