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僕たちは希望という名の列車に乗った【映画・ネタバレ感想】レールの先に、見えた未来★★★★☆(4.6)

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あらすじ

1956年、東ドイツ。ハンガリーで起きた民衆蜂起「ハンガリー動乱」を西側の情報で知った進学クラスの高校生たちは、犠牲となった民衆のために2分間の黙祷を行う。しかし、そのほんの思いつきに過ぎなかった行為を、大人たちは深刻にとらえ「社会主義国家への反逆」と問題視するのだった。その動きは学内にとどまらず、ついに当局が調査に乗り出してしまう。「黙祷の首謀者」を割り出すため、進学や家族を人質にとり、友情に揺さぶりをかける権力者たち。その非情さを目の当たりにした若者たちはそれぞれに葛藤する。大人の言いなりに友を裏切り、安定した将来を選ぶのか?信念を貫き自分の意思で歩む人生を選ぶのか?彼らが導き出したそれぞれの答えとは…

 

 

「今年期待の新作」でも挙げていた一作。

結論から言うと、

めちゃくちゃ良い映画でした…(T-T)

期待以上に面白くかつ、とても感動的な映画でしたね。

 

わたし、若者たちが頑張る映画に弱いんだけど、特にこういう、「普通の子たちが、大人や権力に抗おうとする」っていうのがたまらなくツボなんですよね。彼らの純粋さに、忘れてしまったあの頃を思い出されるような、あるいは「腐った大人」に片足を突っ込んでいる現状に喝をいれてもらえるような…。

彼らが結論を下すクライマックスは、もう滂沱の涙でした。あぁもう、みんな幸せになって…( ;∀;)

 

 

権力を振りかざす大人VS意思を貫く若者たち

ちょっとした反抗心と出来心からくる、悪意のない若者の行動が、権力者によって断罪されていく…。

本作で描かれた、非情で卑劣な権力の使い方にわたしは強い憤りを覚えましたし、「くそっ!わたしに映画の中に入れる能力があればこいつらを殴ってやれるのに!」と何度も拳を握りしめましたね。f:id:minmin70:20190519135658j:image

権力を振りかざして学生たちを脅すケスラー軍学務局員(左)とランゲ国民教育大臣(右)。こいつら5発ずつくらいは殴ってやりたい。5/17公開『僕たちは希望という名の列車に乗った』予告編 - YouTubeより

 

そんな醜い大人たちに反して、若者たちは純粋で光輝いて見えます。一応大学進学を目的とした特別な「優等生クラス」ではありますが、でも別に、崇高な目的を持っているわけでないんですよね。友情や恋に悩むような普通の子たちであるというのも、この映画に共感できた理由のひとつだと思います。

彼らを演じた若手の役者さんたちの瑞々しい演技も素晴らしく、特に黙祷に難色を示す役柄のエリックはその背景と心中の複雑さをヨナス・ダスラーさんは見事に演じきっていましたね。黙祷の発案者で優等生でもあるクルトを演じたトム・グラメンツさんはその甘いマスクもあって、今後の活躍が期待される俳優さんだと思いました。

f:id:minmin70:20190519141138j:image みんなそれぞれ魅力的!(C)Studiocanal GmbH Julia Terjung

 

幾分かは脚色しているとはいえ、大まかな内容は実話だそうで、実際にこのクラスの一人だった方の手記が原作です。翻訳本も先日発売になりました。

沈黙する教室 1956年東ドイツ?自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語

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映画では描かれなかったその後や、40年後の同窓会などについても書かれているそうで、思わずアマゾンさんでポチっとなしちゃった。早く読みたいなー(*´σー`)エヘヘ

 

 

1956年の東ドイツと「ハンガリー動乱」

一応「実話に基づく」とエクスキューズがあるので、ある程度の史実の知識があった方が作品を理解できると思います。

わたしが理解している範囲でいくつか説明しておくと、舞台となった1956年というのは「ベルリン壁」がまだなかった頃(壁が建設されたのはこの5年後の1961年)で、検閲はあったものの西ベルリンへの列車での行き来は可能な時期でした。

東西ドイツが分断されたのが1949年だったことを考えると、国としてはまだ新しくて「まさにこれから」という時。映画の中でもまだ比較的穏やかな雰囲気が漂っています。(しかし学生たちへの仕打ちの卑劣さを見ると言論や思想の不自由さやその不穏な足音を感じることができます)。

社会主義そのものにも勢いがあり、ちなみに人工衛星「スプートニク号」の打ち上げ成功は映画の舞台の翌年、1957年です。この頃の人々はもしかしたら、社会主義に「未来と希望」を抱いていたのかもしれません(本作の校長は社会主義の同志の「おかげで」出世できたと認識しています)。

 

そんな思惑とは裏腹に、この頃はまさに米ソ冷戦が激化している時期で、東西ドイツはもちろん、世界中がその分断に翻弄されていた時代でした。

そんな時に起きたのが「ハンガリー動乱」です。社会主義に属していた東ドイツ同様、ソ連の支配下にあった当時のハンガリーで、言論や報道、選挙の自由などを求めてソ連の撤退を求めた学生運動に端を発し、各地で暴動やデモが行われました。その鎮圧のためにソ連が侵攻し、多数の死者が出ます。

 

東側の国にとってソ連への反抗はすなわち「反逆」です。しかし逆に西側は「自由のための行動」と捉えており、このハンガリーでの出来事を東西共にプロパガンダ的に報道していました。

本作では、学生たちはそんな「禁止されている」西側のラジオで事の顛末を知らされることになっています。彼らもまたソ連軍が自分たちの国にいることを快く思っておらず、ソ連に反旗を翻したハンガリーの民衆側の心情に自然と寄り添うことになるわけです(また10代後半てのはどうしたって「理由なき反抗」をしたくなる時でもあるし)。

 

しかし、東ドイツはソ連=社会主義によって「ナチスに対抗した国」として樹立した建前があるために、この民衆蜂起にシンパシーを覚えること自体が危険とみなされてしまうのでした。

また、当時の大人たちにしてみればこの「反ナチ」がある種のアイデンティティとしてあったわけですから、体制を脅かす「反乱分子」には過剰に反応してしまうのは当然と言えば当然なのかもしれません。けれども裏を返せば、「反革命的」な学生たちに厳しく当たる行動こそが、大人たちの権力の欺瞞を知らしめしたとも言えます。

本作でも、「ゲシュタポと同じだ」と反論した学生に校長が「私たちはナチスと戦ったんだぞ!」と激昂するシーンがあります。ナチスの蛮行と権力の濫用を憎んでいたはずなのに、同じことをしているという皮肉。

その欺瞞と葛藤を内に秘めた大人たちは、子どもたちのまっすぐな目線に耐えることができない。なぜなら、突き詰めればその憎きナチズムを間接的に支持していた事実にぶち当たるから…。

優等生のクルトと地元の実力者でもあるその父親との確執や、戦死した父親の過去を偽って知らされていたエリックの件では、戦争の傷痕を抱える大人たちの一筋縄ではいかない心情を垣間見ることができます。後ろめたさの反面にある親心。それをしっかりと描いているところが、本作に深みを与えている点でもありますね。

 

 

概してドラマチックな演出があるわけでもないし、割りと地味で平坦な映画かもしれません。ですが、わたしの心にはとても響きました。

若者たちの「自由と未来」を応援したくなる清々しい青春映画でもあると同時に、「自分は若者たちの"自由の芽"を摘むような言動をしていないか?」と省みることができる大人のための映画でもあると思います。

若い人にはもちろん、大人の方々にも是非観て欲しい映画でした。

 

 

以下ネタバレ。

 

 

 

 

 

 

「希望に向かう列車」ではない

「希望という名の列車に乗った」という邦題、実は「ビリギャル」とか「もしドラ」系のネタバレタイトルでして、最終的に学生たちは西ベルリン行きの列車で逃亡し、そこで卒業試験を受けることになるんですね。

家族とはもう二度と会わない(会えない)覚悟で、すべてを捨てて逃げる。18歳の彼らには過酷な選択です。少なくとも邦題にあるような「希望」を彼らが抱いていたとは到底思えません。不安もあったでしょう。映画は列車に乗ったところで終わるのでその後について描かれてはいませんが、西側での生活はおそらく苦労もあったはずです。でもわたしが思うに、それでも彼らは後悔しなかったはずです。

なぜならそれは、彼ら自身で選んできた道だから。

 

おそらく黙祷をした当初は、誰もここまで大仰なことになるとは思ってなかったでしょう。けれど、他意のない行いが「政治的タブー」とみなされ、否定され抑圧されることによって、若者たちはその意思を強固にしていく。

逆に言えば、大人たちがここまで大騒ぎしなければ大半の子はなんの行動も起こさなかっただろうし、学校を卒業して大人たちが求める「良い子」に育っていたかも知れない。

でも、大人の醜さを、権力の卑劣さを目の当たりにしてしまった彼らはもう、「良い子」だったあの頃に戻ることはできない。

おそらく彼らを列車に乗せる後押しをしたのは、「あんな大人にはなりたくない」という思いだったのではないでしょうか。そしてそんな若者の意志の連鎖が、ベルリンの壁崩壊や東西ドイツ統一といった歴史を動かしていったのかもしれないと、未来にいるわたしは思ったりするのです。

 

 

「自分で考えること」=「生きる」ということ

わたしが本作を観て感じたのは、「自分で考えること」の大切さでした。

若者たちは普段ならば触れることのできない西側の情報に触れ、自分たちが今目にしているものが全てではないことを理解します。そして卑劣な大人たちが自分たちを丸め込もうとしていく中で、彼らは自身の意思で選択を決める。

その行動が美しく尊く思えるのは、彼らが「正しい」からではなくて、「自分で考えること」を放棄しなかったからなんですよね(クライマックスで立ち上がらなかった女生徒も列車に乗らなかった学生もいたけど、自身の意思に基づいているならその選択は非難されるものではないとわたしは思う)。

西側のラジオを学生に聞かせていた老人は、「自分たちでものを考えて行動する人間は、国にとっては邪魔な存在だ」「君たちは、国家の敵だ」と語ります。そして、その通りになります。

けれど、何も考えず、国の、政府の、権力の言いなりになることが、果たして「生きる」ということなのでしょうか?

わたしはね、若い人たちに、どんな主義であれ思想であれイデオロギーであれ、自分で考え自由に選択して欲しいと思っている。自由に、幸福に。多分それが「生きる」ってことなんだよね。

 

わたしたち大人は、彼らにその自由を永遠に与え続けなければならない。彼らから「自分で考えること」の自由を奪ってはならない。彼らが意思を持ち、自分自身で道を切り開いて行く先にこそ、未来があるのだから。わたしはそう、信じている。

若者たち、君たちこそが希望なのだから。

 

 

 

最近観た東ドイツ題材の映画。80年代に流行したブレイクダンサーたちの物語です。時代背景や作風は全然違うけど、こちらも若者たちの意思とエネルギーを感じられる青春映画でした。本作がお好きな方に、おすすめです。

 

 

 

作品情報
  • 監督 ラース・クラウメ
  • 原作 ディートリッヒ・ガルスカ『沈黙の教室』
  • 脚本 ラース・クラウメ
  • 音楽 クリストフ・カイザー、ユリアン・マース
  • 出演 レオナルド・シャイヒャー、トム・グラメンツ、ヨナス・ダスラー、ロナルト・ツェアフェルト、ブルクハルト・クラウスナー
  • 製作年 2018年
  • 製作国・地域 ドイツ
  • 原題 DAS SCHWEIGENDE KLASSENZIMMER/THE SILENT REVOLUTION