あらすじ
1984年の夏、オレゴン州の郊外。陰謀論大好き少年デイビーは、近隣で頻発している少年失踪事件に、お向かいに住む警察官マッキーが関与しているのではないかと疑う。彼は自身の推理を証明するため、仲良しの友人イーツ、ウッディ、ファラディと共に独自の調査を開始する。
マッキーの尾行・監視を続けるなか、次々に明らかとなる怪しげな行動。少年たちは疑いを強めるが、大人たちは相手にしない。
善良な警察官が本当に犯人なのか?それとも少年たちの妄想か…?そして明らかになる驚愕の真実。
その夏を、彼らは永遠に忘れない…
夏ですね。
誰ですか、今年は冷夏だとか言っていた人は。おもくそ暑いやないかーい!!
思春期に少年から大人に変わる
というわけでこんな暑い夏にぴったりのジュブナイルホラー、『ホラーオブ84』を観てきました。ひんやりとした気味の悪い余韻が楽しめる、なかなかの良作でございました。
監督は「チャリンコ版マッドマックス」との呼び名もあった『ターボキッド』の映像制作ユニット、RSKK。前作同様80年代ジャンル映画へのオマージュが散見され、テクノイズムな音楽もどこか郷愁を誘います。
ただ、本作は『ターボキッド』ように突き抜けているわけでもなく、割りと淡々とした真面目な作りの映画です。前作のような勢いを期待するとちょっと驚かれるかもしれません。
けれども、どこか私小説的な趣のある少年たちの日常は共感できる部分も多く、万能感と自己陶酔が脆くも崩れ去っていく思春期の「通過儀礼」に、わたしも「あの頃」のことを痛みと共に思い出しました。
主人公たちは15歳なんだけど、その辺りってもう自分は子どもじゃないんだってことを意識させられる時期だと思うんですよ。大人たちからも一定の扱いを受ける反面、「まだ子どもだから」と矛盾した物言いをされる。
そのどっちつかずの時期だからこそ、その時見聞きしたこと、経験したことがその後の人生を決定付けることもある。
あの頃好きだったものって多分今でも好きだし、あの頃考えたことは今の自分の基盤になっているような気がする。
でもまだ、完全に大人にはなっていないから、
世間体よりも好奇心。危険ではなく冒険。
遊び半分と無邪気な正義感で、無茶なことやバカなことをやってしまいがち。
思い返せば14、15歳の頃の思い出って「あんなことしなければ」「こうしていれば」という後悔の連続なんですよね。
でも、どんなに悔やんでも懐かしんでも、あの頃には戻れない。
そんな苦々しい気持ちになる映画です。
きっとあなたも、少年たちの経験するような「戻れない夏」を経験したことがあるのはず…。
おすすめです。
以下ネタバレ。
多分なんかちょっと的外れなこと書いている気がするので、読み飛ばしていただいて結構です。
郊外が恐怖の町になる時
本編の最初と最後に、主人公の男の子デイビーの独白で「連続殺人鬼も誰かの隣人だ」という印象的なセリフがあるんですが、それを聞いて最近Twitterで見た「#夏なのでフォロワーさんの怖い話教えてください」というハッシュタグの話題を思い出しました。
「変質者に追われて逃げたけど、後日友だちの家に行ったらそこにその変質者がいた(友だちの父親が犯人だった)」ってやつ。
結局そのことを友だちには言わなかったそうなんですが、この映画も、「知らなくてよかった大人の裏の顔を見てしまった」話なんですよね。
友だちのお父さん、近所のおばさん、一緒に遊んでくれるお兄さんお姉さん。彼らにももしかしたら誰にも見せない「裏の顔」を持っているのかもしれない。
実は、そんなことを考えてしまうことじたいが本当は恐ろしい、というのが一点。
そしてもう一つは、「郊外」という社会の持つ闇です。
かつての田舎のコミュニティは、親の代そのまた親の代から続く土地や血縁に縛られた関係性で構築されていましたが、郊外、いわゆるニュータウンは、「どこの馬の骨ともわからない」人々の集まりとなっているんですよね。
もちろんそれは、田舎の因習やそのしがらみから解放されるというメリットもあるわけですが、一方で表層的にしか隣人と関係を築けないという薄気味悪さも孕んでいる。
1980年代は、アメリカでも日本でも、その「郊外」の持つ闇の部分がはっきりと露になった時期でもあるんですね。
映画でも「出かけるときでも鍵をかけない」なんて話がありましたが、80年代の前半まではそれでも保たれていた郊外の秩序が、後半にかけてはアメリカ中がこの映画のような事件を皮切りにして崩壊していったのでしょう。
通りから子どもたちが消え、隣人を信用できなくなった大人たちは家の鍵を固く閉じる。恐らくその恐怖はあの頃から続いているのです、今も。
青春時代を狩る
少年が殺人犯なのではないかと警察官を疑うーー。そのあらすじを聞いて、最初わたしは
「実はただの勘違いでした~で終わるんだろうな」
と思いました。「ホラー」とタイトルにありながらも、本質は青春時代の苦くて甘酸っぱい思い出の話なんだろう、と。
本作の主人公であるデイビーくんが「陰謀論好き」だと言うフラグもあって、途中まではその気持ちは揺るがなかったんですよね。
友人の3人も「またこいつ言ってら~」って感じで、そこまで本気で主人公を信じている風ではないしどこか遊びの延長という印象でした。
ところがある時から「え、これはどっちなの?」と揺さぶりをかけられるんですね。
…この映画、少年たちの青春時代を奪おうとする大人の話だったんですよ。
確信に迫るのでラストのネタバレは避けますが、「犯人」は明らかに過去の「青春時代」に囚われていて、その身勝手な理論による理不尽な「復讐」は、恐怖を通り越して怒りさえも覚えます。
けれども、わたしはその理不尽な振る舞いにも身に覚えがありました。
実はそれ、わたしたち大人は犯していることなのではないか?と。
「もう子どもじゃないんだから」
「大人になれ」
「常識を考えろ」…
確かに、「連続殺人鬼」は誰かの隣人だ。
そしてわたしたち大人たちは、様々な理由をつけて子どもたちはの青春時代を「狩って」いる。
奇しくも先日観た『天気の子』やドラマ『ストレンジャー・シングス』を彷彿とさせられて、暗澹たる気持ちになりました。
わたしは子どもたちの青春を殺す「連続殺人鬼」になっていないだろうか?
今一度自問している、今日この頃です。
作品情報
- 監督 フランソワ・シマール、アヌーク・ウィッセル、ヨアン=カール・ウィッセル
- 製作総指揮 フローリス・バウアー
- 音楽 ル・マトス
- 製作年 2017年
- 製作国・地域 カナダ
- 原題 SUMMER OF 84
- 出演 グレアム・ヴァーシェール、ジュダ・ルイス、ケイレブ・エメリー、コリー・グルーター=アンドリュー、ティエラ・スコビー