あらすじ
フロリダ「ディズニーワールド」の近くにある安モーテル"マジックキャッスル"で、母親のヘイリーと暮らす6歳のムーニー。お隣モーテルで暮らすジャンシーとお友だちになって、冒険に満ちた夏休みがはじまった!
すみません、最初に言っておきますが、今回書いているのは感想ではないです。
かなり私的なことばかり書いてて、多分他の人が読んでも全く面白くないと思うので、ちゃんとした感想やレビューを読みたい方は、以下のちゃんしたブログさんへどうぞ!
本作がダメだった人はモンキーさんのブログを。毎度のことながら不満点には「その通り!」としか言えませんわ。
社会派な切り口のナガさん。勉強になりますわ…
ただ、子どもたちを見つめる視点
本作は、「少女時代の終わり」を描いた映画だとわたしは思いました。
確かにアメリカの貧困層とかの社会問題にフォーカスしてますが、それはこの映画の一部分であって、本質じゃない。映画の視点は母親ヘイリーでも、ウィレム・デフォーが演じたモーテルの支配人ボビーでもなく、あくまでムーニーら子どもたちなんです。
ヘイリーが夜遊びに興じるシーンだったり、ボビーの人となりに触れるシーンなんかももちろんあるのですが、カメラの目線は常にムーニーたちと共にあるんですよね。けれど、その姿勢はあくまでフラット。子どもたちに寄り添うわけではない。むしろどこか突き放しているような印象も受けます。でも、決して彼女たちを見捨てはしない。
わたしはこの距離の取り方に好感を覚えました。
この映画の良いところはまさにそこだと思います。貧困問題を声高に訴えようとか格差社会に一石を投じようとか、そういう上から目線なところが一切ないんです。映画には説教じみた教訓も偉そうな問題提起も要らないんだなと改めて思いました。
ただ、見つめる。それだけでも十分メッセージは伝わるんですね。
時々不自然なカット割りがあったり、人の顔がフレームアウトしていたりするのもきっと、「子どもの目を通した」大人の世界を描いていたからなのでしょう。子どもたちの前に変質者が現れる件などは、ボビーを演じるウィレムデフォーの演技と子どもたちの表情だけでハッとさせられたし、お風呂のシーンとかもね…あれ?あ。あぁ~…という(語彙力)。何も確信めいたことは言わせてないのに観ているこちら側にその状況の異常性を悟らせる。とてもクレバーでスマートなシーンでした。ウィレムデフォーとケイレブ君のやりとりとかもね…「あぁこの親子も大変なんだなあ」ってなんとなく想像できたりして。
「大人が泣き出す時の顔がわかる」「この木が好き。倒れても育っているから」などのムーニーのセリフから、彼女と母親がこれまでどんな状況にあったのかを暗にうかがわせる語り口もほんとうまくて、最初は「おやおや困ったDQNだな(ヤレヤレ)」なんて思ってた親子のことも、気づいたら自然と肩入れしたくなっていました。
確かにヘイリーは、人としても母親としても問題がありすぎるかもしれない。でも、わたしが彼女を責める気になれないのは、彼女のムーニーを見つめる目が常に優しかったからです。彼女は決してムーニーを叱らないんですよね(そこも問題っちゃ問題なんだけど)。春を売らなきゃ生活できないほど困窮していても、ヘイリーは子どもたちを笑わせる。富の象徴のようなディズニーワールドの花火を、お誕生日のサプライズに変える。どん底の生活でも、彼女なりに子どもたちを楽しませようとしている。そんな彼女を見ていたら母親失格だなんてわたしには言えません。
枕汚されて、「わたしの枕なんだから文句ある?」なんて言われたら、わたしならキレてますよ(沸点低すぎ)。
子どもはいつ、大人になるの?
「少女時代の終わり」と先ほど書きましたけど、本作は『ミツバチのささやき』や『IT』、『メイジーの瞳』なんかで描かれたような、戦争だったり虐待だったり大人の無理解だったりと同じように、社会的な要因や大人の都合よって「大人になること」を強制された子どもたちの物語なんですよね。子どもたちは、それら「社会の理不尽さ」を受け入れざるを得ないと悟った時に大人になる。
本作も、ラストにムーニーに「社会の理不尽さ」が降りかかります。それは大人の世界からしたら仕方がない・当然・他に方法がないことなのかもしれません。ですが子どもからしたら、大人の勝手でしかない。
ムーニーは涙ながらにその理不尽さを受け入れ、大人になる決意表明をしようとします。ところが、ラストシーンのあっと驚く仕掛けによって、まるで幻のように映画は終わるのです。ちょっと『小さな恋のメロディ』を彷彿させるような、非現実的でエモーショナルなラストシーンで、わたしは涙が止まりませんでした。
あぁどうして、わたしはジャンシーのような行動を取れなかったんだろう。あの時、あの子の手を、どうして放してしまったのだろう。子どもらしくいられた最後の夏、それを永遠のものにするために、わたしも逃げ出せばよかったのに。
以下、映画のネタバレと自分語りがはじまりますので、そういうのが苦手な人はここでバイナラ~ヽ(;▽;)
王様だった、あの頃
というわけで、いきなり隙あらば自分語りはじめちゃいますけど、わたしは子どもの頃団地に住んでまして。団地っていうか、昔でいうところのニュータウンていうの?結構規模の大きな集合住宅だったんです。
なので、この映画でムーニーたちがモーテルの敷地内や町を我が物顔で遊び歩く様子を見ていて、自分の子どもの頃のことを懐かしく思い出しました。今にして思えばわたしもあんな感じの悪質極まりない遊びを嬉々としてしていたなぁ…と。水風船を3階から落としたり、上の階から全戸ピンポンダッシュしたり、人んちの車をゴールに見立てて駐車場でサッカーしたり…文字にするとまじで最悪だな 苦笑。
あの時感じていたのは、自分に不可能はないという万能感、誰も自分を脅かさないという優越感、疲れるまで遊び続けた後の幸福感。気分はまさに"魔法の城"の王様だった。自分がいつか大人になるだなんて想像もしなかった、そんなこと考えもしなかった、この時が永遠に続くんだと信じていた。
さよならと、彼女は言った
わたしと同じ棟に「なっちゃん(仮名)」という女の子が住んでいた。わたしと同い年で一番仲が良かった。なっちゃんは男の子ばかりの5人兄妹の末っ子で、体も大きくて口も達者で、わたしをからかう男の子を一発で泣かせちゃうくらいに喧嘩も強かった。わたしとなっちゃんはどこへ行くにも何をするにも、いつも一緒だった。
彼女がわたしの前から姿を消すまでは。
小学2年生の時、なっちゃんは突然引っ越していった。あとになって聞いた話だと両親が離婚してお母さんの実家に帰ったのだという。わたしは悲しくて親が引くくらい大泣きした。
しばらくして、なっちゃんから手紙が届いた。そこには新しい学校のこと、友だちのこと、クラスのかっこいい男の子のことやなんかについて書かれてあった。わたしは何となく悔しくて、その手紙には返事をしなかった。その後も時々手紙や電話のやりとりはあったけど、わたしも新しい友だちができたりして、次第に回数は減っていった。
そんなある日、なっちゃんは突然うちにやってきた。
小6の夏休みだった。
なっちゃんの引っ越し先は他県だったから、物理的にも金銭的にも、簡単に子ども一人でおいそれと来られる距離ではなかったはずだ。うちの親はびっくりして、すぐになっちゃんのお家に電話をかけていた。でもわたしはなっちゃんに会えたのが嬉しくて一緒にプリクラを撮ったりカラオケに行ったりして遊んだ。家に一晩泊まり、次の日の朝、なっちゃんのお母さんが迎えに来た。端的に言えば、それは家出だったのだけれど、頭の悪いわたしはそれが何を意味していたのか、その時はまだわからなかった。
なっちゃんは帰り際、わたしの手を握って泣いた。「また、会える?」わたしより大きくて大人っぽいなっちゃんが子どもみたいに泣いてるのに驚いて、わたしはただ「会えるよ」とだけ答えた。
その時のわたしはまだ子どもで、友だちと会えなくなるなんてことがあるはずもないと思っていた。でも、彼女はもう「大人」だったからわかっていたんだ。生きているのに会いたい人と会えなくなることもあるんだってことが。
さよなら、と彼女は言った。
そして彼女の懸念の通り、わたしたちはもう二度と会うことはなかった。
永遠の夏を求めて
ディズニーワールドへと走り出すジャンシーとムーニーの背中を見ながら、わたしはおいおい泣きました。
なぜ、わたしはあの時なっちゃんの手を放してしまったんだろうって。わたしも逃げればよかった。そうすればわたしもなっちゃんも永遠に少女のままでいられたのに。大人の都合なんか理解したり受け入れたりしないで、子どものままでいられたはずなのにって…
でも、現実にはそうはいかない。
あのラストシーン、撮影の仕方(多分場所柄ゲリラ撮影だったと思われ)を見ても、ジャンシーとムーニーの願望(あるいは妄想)であって、現実ではないという考え方もできます。現実的に考えればヘイリーと引き離され、ムーニーは”マジックキャッスル”を出て別の場所で暮らすことになるのでしょう。
でも、映画は現実ではない。
「夢の国」と呼ばれるその場所で、時を止めて少女のまま永遠に仲良く二人は暮らしましたとさ…
それは、かつて少女だった「わたしたち」の願いでもあるのです。少なくとも、わたしはあの子たちがあの時の後悔を引き受けて、わたしの願いを叶えてくれた気がして、なんだかもうそれだけで十分でした。
なっちゃんですが、最近、風の噂でシングルマザーになったと聞きました。手に職の仕事をバリバリしながらお子さん二人を育てているそうです。
この映画を観て、わたしはもう一度彼女に会いたいと思いました。
また、わたしの手を繋いでくれるだろうか?
そうしたら今度は絶対に、その手を放さない。
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作品情報
- 監督 ショーン・ベイカー
- 製作総指揮 ダーレン・ディーン、エレイン・シュナイダー、マン・シュミット
- 脚本 ショーン・ベイカークリス・バーゴッチ
- 音楽 ローン・バルフェ
- 製作年度 2017年
- 製作国・地域 アメリカ
- 原題 THE FLORIDA PROJECT
- 出演 ウィレム・デフォー、ブルックリン・キンバリー・プリンス、ブリア・ヴィネイト
- フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法 » 映画「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」公式サイト