ファンタスティック映画主婦

雑食つまみ食い系映画感想ブログ

独裁者と小さな孫ーー初めて見る現実は、憎悪と悲しみに満ちていた★★★☆(3.8)

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独裁者と小さな孫(字幕版)

あらすじ

あるところに国民を苦しめてばかりの独裁者の大統領がいました。けれどもある日、クーデターが起きて、老いた独裁者は命を狙われることになってしまいます。変装し、まだ幼い孫を連れて、国中を逃げ回りますが…。

 

 
 
実は観賞したのは随分前で、感想を書いては消し、書いては消し、なかなかまとまらなかったんですね…。わたしごときがぐだぐだと、国際問題を語るのもお門違いだし、偽善ぶって「独裁ダメゼッタイ!」とか言うのもこの映画の感想としてはおかしいし…といろいろ悩んでしまい。
 
けれどもこんなボンクラ三十路のブログに社会情勢の見解など期待して読む人なんているはずないし(そもそも絶対数が少ないし)、ただ純粋に、映画として面白かったところや思ったことを感想として書けばいいのだと開き直ることにしました。
 
(パンフレット:700円(コラムが充実))
 
多少読みづらいですが(それはいつものこと)、ネタバレしつつつらつら書いていきますよ。
 
 
 
 
 

架空の国?のおはなし

この映画は一応、架空の国を舞台にしています。
プロローグにあたる冒頭に出てくるイルミネーションが光り輝く大通りは、大統領の官邸のある首都なのでしょう。独裁国家の常として、首都だけはやたらと飾り立てて立派なものです。
なのでこの国は、どこでもないと同時にあらゆる独裁国でもあるのです。
 
輝く首都を見下ろしながら、お戯れになる大統領と孫。電気消しゲームはどこかファンタジックで、ほのぼのとした印象を持ちます。
おじいちゃん独裁者の発言に不穏な響きを感じるものの、孫くんの愛らしさによって相殺。
まるで天使が人間を駒に遊んでいるみたい。
でも、彼らは天使でも、神様でも、もちろん悪魔でもない。
 
 

独裁者だって人間だ

 

ヒットラーのむすめ (鈴木出版の海外児童文学―この地球を生きる子どもたち)

ヒットラーのむすめ (鈴木出版の海外児童文学―この地球を生きる子どもたち)

 

 

だいぶ趣は違うのですが、この映画を観て、上記の児童書を思い出しました。

「実はヒトラーには足に障害を持った娘がいた」という架空の設定で物語を紡ぎながら、自分と家族、自分と友人、そして自分自身の善悪について思い巡らす、というおはなしです。
 
 
独裁者であっても、自分の子や孫を愛するし、肉親を大切に思う気持ちはあるわけで。
子や孫はその愛を正当に受け止めるし、それは間違いではないのかもしれない。
この映画の独裁者も、孫を守ろう安心させようと心を砕くし(自分の正体をカモフラージュさせるという目的もありそうだが)、自分の息子を殺した犯人には強い殺意を抱く(でも正体がバレたら元も子もないので手は出さない)。
孫もおじいちゃんを慕っている様子が見てとれるし、段ボールに入って手をつないで眠る描写からも、2人の間には間違いなく愛情をベースとした信頼関係が築かれていると感じられる。
 
 
でも、そんな自分のおじいちゃんが実はひどい殺戮者だったら?
自分にとっては優しいおじいちゃんでも、本当は保身のために10代の若者も簡単に処刑させる人間だったら?
 
この映画の孫は、最初は無垢で世間知らずで、排便した自分の尻さえ拭けない「坊や」なわけです。もちろん親やおじいちゃんが国民にしてることなんて知らないし、善悪の観念なんてまだ理解もできていないから、電気消しゲームだってただ面白いからやっただけ。そこに苦しむ国民がいるとか、辛い思いをしている人がいるなんて想像ははなから浮かびっこない。
 
 

ようこそ「現実の世界」へ 

しかし、彼の世界は一瞬で一変する。
信頼していた人間から銃を向けられ、人の死を目撃し、おじいちゃんの知らない一面を垣間見る。旅を続けるうちに、人々の狂気、憎悪、悲しみを目の当たりにした孫は、終盤、やっとこれは現実なんだと悟る。
それでも彼は「もうこんなゲーム終わりにしたい」と言い、ラストには夢を見ているかのごとく、ダンスを踊ります
 
孫はこの旅で変わったのだろうか?
何かを学んだんだろうか?
 
少なくとも、彼は世界には人の死や苦しみが存在するということを知った。多分この「知る」ということが大事なんだと思う。
結局のところ、我々もこの孫と「無知である」という点において大差はないのかもしれない。
 
 

民主主義のダンス

終盤、政治犯の若者が、村民に囚われ私刑に処されようとしている独裁者と孫を救おうとします。彼は独裁者を殺そうとする村民に向かって言います。
「ここでこいつを殺しても何も変わらない。お前たちもこいつと同じようになりたいのか?本当の民主主義はそんなんじゃない」
若者の主張は確かに正論なのですが、息子を政治犯として処刑された母親に、その理論は通じないと思うんですよね。
 
このいきなり正論を語りだす優等生な若者は、監督が「(モデルは)僕だよ」と発言しているので、この若者のセリフがこの映画で伝えたいことなんだろうとは思うのですが、わたしとしてはうーん…でしたね。あんまりに直球すぎて。
 
アラブの春と呼ばれる民主化運動に関しては、失敗して泥沼化している国があったり、結局元の独裁側に権力が戻っちゃったり、最近はその功罪なんかも言われているわけですが、本物の自由と平等のためには権力者だけでなく、国民も変わらないといけない、ということなんでしょう。
そういう意味でも面白かったのはこの若者の「(独裁者に)民主主義のダンスを踊らせろ」というセリフ。 
道化にしろと言う皮肉とも取れそうだけれど、民主主義的な解決は暴力とは真逆のものでなければならない、ってことでもあるのかなとわたしは思いました。孫くんがラストダンスを踊っていたのも、独裁や暴力から逃れられた、と解釈できるのではと…(えーとね、全然違うかも 笑)。
 
ラスト、この若者は「独裁者を殺したいなら先に俺の首をはねてからにしろ」と首をさらします。けれども映画は、村民がどんな選択をしたのかを明かすことなく終わります。
これを、はっきりさせろ!と憤るか、むむむなるほど…と考え込むかで意見はわかれそう。
 
 
でも、もしこれがハネケの映画なら間違いなく殺されるのは孫だろうし(しかも、独裁者と孫の首をロープでつなぎながら「我慢できれば孫は死なないよ」とか言われるんだけど、耐えられなくなって…みたいな死に方)、スピルバーグだったら後から出てきた老人がうまいこと言って(独裁者の身代わりになって死ぬとか)孫と独裁者は助かるだろうし…ってそんな話じゃないけど、自分だったらどう終わらせるかな?なんて考えました。
…まだ答えはでません。
 
 
 
 
 
民主主義は多数決だ!と暴力的に定義した政治家もいましたが、その正当性も含めていろいろ考えたくなる映画でした。
それに孫役のダチくんは本当に愛らしかったし、天真爛漫に育った金持ちのボンボン感(笑)が素晴らしかったと思います。
 
 
基本的には落ち込む映画なので、気分のいい時に「ちょっとじっくりとまじめな映画を」とか、「ちょっと久々に鬱エンドな映画を」とか、「ちょっとかわいい少年が出て来る映画を」(違う違う!)とか思ったら、おすすめいたします。
 
 
 
不幸衝撃度
刑務所出たら元妻が…★★★
生理中だというのに…★★★
結婚式の帰りに…★★★★☆
総合★★★☆(3.8)