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雑食つまみ食い系映画感想ブログ

6才のボクが、大人になるまで。ーー成長する子ども、老いる大人。★★★★(4.0)

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6才のボクが、大人になるまで。(字幕版)

あらすじ

メイソンは感受性豊かな6才の男の子。シングルマザーの母親と姉と暮らしている。ある日、母親が大学に入り直すため引っ越しをすることになり…。父との再会、母の再婚、はじめての恋。さまざまな経験が一人の少年を大人にして行くーー。

6才の少年が18才になるまでを、主演の俳優たちの成長そのままに、実際に12年かけて撮影した意欲作。

 

 

 

「劇中に子どもが成長する」と聞くと「北の国から」や「渡鬼」なんかを連想しちゃうけど、それはドラマで、今作は映画。やはり費用の問題だったり期間のことを考えれば、監督にかなりの忍耐力、そして交渉力がなければ完成出来なかっただろうと思います。出演者やスタッフもかなりの労力を要したのではないでしょうか(実際、姉役を務めた監督の実娘ローレライ・リンクレイターは、途中で「もう辞めたい」と言っていたとか)。

 
短期間で成果を求められるような昨今ですよ。「映画撮ろうと思うんですけどーでも完成は12年後なんですー」なんて企画を通す&お金を出した人たちがいたってことがもうすごい。
映画がヒットするとも限らない、そもそも完成するかもわからない。それでも挑戦しようとしたことに、なんだか熱いものを感じるじゃないですか(結果的に映画はアカデミー賞6部門にノミネートの高評価、パトリシア・アークエットは助演女優賞を受賞)。
ただ、映画はその心意気とは逆にとても冷静で淡々とした語り口。高い志にも関わらず、気張らずにとても落ち着いていて、恐らく苦労したんだろうけど、そういうのは微塵も感じられないくらいに穏やか。多分ね、監督、いい人なんだと思う(笑)。
 
12年間を撮り続ける、という性質上、ストーリーを一変させてしまうような劇的なことが起こることは特にないんです。でも不思議と退屈にならないのは、メイソン少年の成長がだんだんと楽しみになっていくから。10才頃に髪を伸ばし始めると、「あらまあ色気づいちゃって(笑)」なんて思えるし、声変わりして髭が生えてくると「あんな可愛かった子が…!」なんて驚いたりして。
重要なのは個々のエピソードではなく、出来事や経験の重なりによって、人が成長したり、変化したりしていく様子なんですね。
 
なのでこの映画は、どちらかと言うと、若い人たちより、子育て中もしくは子育てを終え子どもが独立している方や、親戚や近所の子どもの成長に思わず目を細めてしまうような年齢の方たちの方が、琴線に触れる部分は多いのではないかなぁ、と思いました。
 
そして、子どもが成長するということは、それと同じように大人も歳をとる、ということ。メイキングでイーサン・ホークが「成長はいずれ老いに変わる」と言っていたのだけれど、この映画では大人の「老い」をも映し出してしまっている。母親役であるパトリシア・アークエットの変化は、やはり女としては残酷に思えたし、これが現実か…と少し落ち込みもした(笑)。
 
 
 
以下、ネタバレも含みつつ、何を言いたいのかわからん文章をだらだらとつづっていきますのでご注意ください!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

続編早よ

観終わった直後に思ったことは、「続編が観たい!」でした。
 
…と思ったら続編の話もあるみたい。「20才のボクが、父親になるまで」とかね、どうかしら。
 
 

父性の不在を受け入れる

ある意味、この映画では「父親」がかなり重要な位置を占めていると思います。
メイソン少年は潜在的に父性が不在の状態で成長していくんですね。
 
イーサン演じるメイソンパパは、多分、親戚のおじさんとかだったら絶対最高なタイプなんです。
アラスカでよくわからん仕事をしたり、バンド仲間とルームシェアしたり、いい歳してモラトリアム状態を楽しんでる。定職に就いてないし、いわゆる「父親」としては全然ダメなんだよね。
 
おそらくパパもそれは自分ではわかっていて、積極的に父親になろうとはしていない。子どもと、人間対人間として接しようとしている感じがした。
もちろんそれは、悪いことではない。
「父性」を「父権」と勘違いしたママの二人目の夫よりも、ずっといい。
そしてママの三人目の夫は、メイソンがある程度大きくなっていることもあって、はなから「父親」であることを放棄している。
 
そんな中、メイソンはメイソンパパが再婚し子どもが生まれ、「父親」となっている姿を見るわけです。モラトリアムから脱却し、赤ん坊のために車を買い替え、否定的だった宗教儀式にも寛容になっている。自分には決して見せなかった「父親」の顔をしている。
でもそれでメイソンは疎外感を感じたり、悲観的になったりはしない(一応、車を譲ってくれなかったことにむくれたりはするけど)。だってもう、そんなに幼くはないから。
最後の方のライブハウスでの会話では、すっかり歳の離れた兄弟といった関係性が構築されている様子で、こんな父子もいいよな、って思えた。
 
 

母性からの解放と老いへの悲哀

じゃあ「母親」はどうなのかって言うと、メイソンママは、はたから見ると結構自分勝手に生きてる印象を受ける。大学に入り直すとか言い出したり、急に引っ越しを決めたり。
でも、23歳の時にでき婚したって設定だから、初登場時は姉との年齢差を考えても30歳前後。となると、キャリアアップするには最後のチャンスだと思ったとしても不思議はない。シングルマザーにとって、子どものためにも職って要素はかなり重要。結果的に大学講師になったんだから、選択は賢明だったと言えるよね。
 
結婚も3回して、離婚も3回。まぁ、そこをどう思うかは個人の感覚なので(笑)。ただね、二番目と三番目の夫との間に子どもを作らなかったってことが、彼女の母性なんだろうなと思った(まあ、金銭的な問題とか、いろいろ理由はあるのかもしれないけどね)。
 
ママ最後の登場シーンは、メイソンが大学の寮に引っ越すため家を出る場面。
いそいそと準備をして、大学の寮制度について話すメイソンに、ママは「あなた、浮かれすぎよ」と一喝するわけ。
「今日は私の人生で一番最悪の日よ!」
「私の人生って何?後は墓に入るだけ」
と、わめきたてるのだけれど、メイソンの反応は「何を大げさな」って感じでかなり冷ややかなのね。わたしもこれを5年前に観ていたら、「何を言うてんねんおばはん」て苦笑して終わってたと思う。
 
一見すると「息子に今までの苦労をねぎらって欲しい」とか、「感謝されたい」ってヒスってるようにも見えるんだけど、でも、違うんだよ!その根底にあるのは、自分の「老い」に対する悲哀なんだと思うの。このシーンで描かれているのは、子どもと大人の「老い」に対する危機感の違いなんだとわたしは思ったのね。
だから続編では是非ね、メイソンに「あの時のママの気持ち、わかる気がするよ」って言ってあげて欲しいんだよなー…。
 
 
と、まぁそんなわけで、いろいろと考えさせられる映画でした(雑なまとめ)。
何でもない会話とか、自然体なリアクションとか、日常の空気感を巧みに切り取っている感じが本当に心地よくて、余韻の残るラストシーンも秀逸。
何度でも観たい!っていうよりは、何かの折にふと観たくなるような、そんな映画だと思います。
 
 
 
 
渋くなるイーサン感★★★★
肉のつくパトリシア感★★★★
終盤の卒業パーティーに出てくる人たちのお前誰だよ感★★★★
総合★★★★(4.0)
 
 
 
ミッドナイトしか観てません、すみません。前二作もちゃんと観ようと思う。時間が経っても同じ俳優が集まってくるってことはやっぱりね、リンクレイター監督、とてもいい人なんだと思うの。
この人は時間の「流れ」を追っていく感じが好きなんだろうなぁ。